
登場人物メモ
▼タグボート(富野):私▼otama:寺報編集長▼にゃっはり:寺院執事僧侶▼G3:寺院執事僧侶
▼その他は信者
Mt FUJI久遠元初リーグ 名前:otama 登録日時:6月 15日(土) 09時14分17秒
G3さま、タグちゃん、& ELSE
つくづく考えて、はっきり考え付いたから
今さらの事だけど、かきたい。書いておきたい。
正信会機関紙の継命新聞社が異分子と見なされる人を一掃したのは、いつに、私が原因。
多分その一言だろう。
いろいろ、不買運動とか、抗議手紙とかワンサカの気運が満ちたのは
(これが本当に起きたのか、起きもしないのに、それを懸念して恐れたのか分からないけど)
他でも無い、私の発言を継命紙に乗せたからだろう。
他の理由はすべて言い掛かりってもんだったろうと思う。
私のような形の発言を好もしく無い危険分子とみたからだろう。
それを用いて、団結を揺らす風を吹かせたということが
粛正の理由だったと思う。
わたしにいわせれば
どうか、それを恐れないで欲しい。
富士門流は皆それぞれに口々に清流をのぞむ。
みなそれぞれにやり方が有るだろう。
穏当な者、不穏当な者。
真実なれば、みな貴重な金であるとおもう。
只潔癖にきらって、いっさい咎の無い所だけで集まろうとするもの、
これは責められないのじゃ無いのかなぁ。
ただ、覆い隠して、忘れて通そうとするのは違う。
無いことにするのは違う。
蓋のネジを強くして、結束だけを主眼に置くことは違う。
殊更に宣伝することは無いが
マトモにゆこうとする志の人は
かなりの部分の全てを知っているべきだ。
人々の疑問や、不安には、誠実に答え
そのうえで、光を与える人々で無くては成らない。
人々が夢を持てなくては
折伏は出来ない。
一番知りたがっている真実には触れさせずに
誤魔化して行こうとして
きれいごとを繰り返すことには
もうみんな飽き飽きなのだ。
本当の同志を求めるならば
「実はこんな所だが
それでもあなたに頼みたい。
これから、一緒に心を尽くして
三宝に報いようでは無いか」
と、語りかけてくれたら
きっと、だれもが感動して共鳴するだろう。
要は、逃げたり、崩壊するのを恐れるのでは無く、
人々の底にある一番美しいモノを信じられるかどうかだ。
覆い隠して、偽り親しむ綺麗事好きの「同志なるもの」を造るのでは無く
なにをしても、何があっても壊れない
本物の仏教徒を探し出すことが大切なのでは?
不完全燃焼でくすぶっている「ありがたい人達」のためにこそ
いろいろノチャンスを使うべきだと思うのです。
小さくなることを恐れては
富士の流儀が泣きまする。
「時期」など、まっていても絶対に来ない。
青い鳥と同じで「時期」は
私達の手にひらの中にありまする。
荒れた農薬だらけの畑を捨てル覚悟で
(このままでは収穫だってもうそうは望めないでしょう
作物の味は既にわるく、実りは...青枯れがつづくでしょう)
ここにひと粒の種を
今、蒔き、育て始めなければ
人々が深呼吸できる美しい森は永遠に湧現しません。
乾きを癒す、みずみずしい果物の成る木はなりませぬ。
どうか、人々の心の底に沈んでいる金を信じて下さい。
その金に、直接語りかけて下さい。
けっして、崩壊はしない。
金は、金脈といって脈をおのずから持っていますれば..。
しかし、これは、掘らなければ出てきません。
シュートは捨て身で!
怖がっていたのでは、
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反省 名前:ゴジラ 登録日時:6月 20日(木) 22時27分38秒
今晩は。
>みなさん
日本負けてしまいましたねー。
韓国とは気合いが違って見えたのはわたしだけでしょうか?
点を取られる前の日本選手のパスには憤慨しました。
って今頃何言ってんだ?かもしれませんが。
>タグボートさん
相変わらずパワフルな行動力ですね。\(◎o◎)/!
仕事明けに聖跡歴訪ですか!
全てにおいて偏見なく探求していく姿勢はうまく言えませんが
タグボートさんの人柄として感じています。
随分時間がたってしまいましたが以前私が書き込んだ生意気且つ増上慢な発言
につき、訂正し反省をしたいと思います。
前回の発言で曖昧な記憶から御書を引用した事が自分の中で
気になって仕方がなく。
御書を読み返していましたが、見つからず。/(-_-)\
そんな所へ仏天のお計らいか御書システムが到来し
自分の発言が誤字脱字ばかりである事を知り恥じ入っています。
此処に御書を誤って引用した事を反省して、
正しい御文を掲載します。
御書を切り文する事自体、御書全文の流れから言って間違いなのかも
しれませんが、とりあえず、反省懺悔の一つとして了解していただければと
思っています。
(御書システムをつくられた方の御苦労に深く感謝しています)
崇峻天皇御書
一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。
不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。
教主釈尊の出世の本懐は人の振舞ひにて候けるぞ。
諸法実相抄
皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。
経王御前御返事
日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。信じさせ給へ。
仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
感じています。
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ゴジラさん、こんちは。 名前:タグボート 登録日時:6月 21日(金) 10時23分32秒
>ゴジラさん
「御書システム」素晴らしいですよね。
よくあれだけのドキュメントの打ち込みをおやりになったと感銘を受
けます。それも10種におよぶ御書文献ですから。
あとは使い方ですね。自分はこのシステムを立ち上げるごとに手を合
わせ、頭を垂れて題目三唱してから使わせていただいてます。
確かに、御文をデジタル化して切り文として振り回すことは、非常に
神経を使うといいますか、恐怖感もありますし、基本的に自分は御書
は全部通して拝読してこそ行間といいますか文底といいますか義意が
つかめるとは思ってます。切り文理解は非常に危険だと思うので。
人本尊だけでは駄目だし法本尊だけでも駄目、開目抄だけわかったと
か観心本尊抄がやっと読めたって、たぶん駄目なんでしょうね。
御書の全体像の把握ってところが最後には重要である、と先達から云
われたことがあります。学会流はまるで駄目。
それにはどうしても御本尊様に一心不乱にぶつかっていかなくては、
なかなか本当のところは感得できないと思うのですよ。題目あげきっ
ていかないと。へたに御書を振り回すと必ず七慢の第五、増上慢を起
こす。見惑思惑が常の身の上が自分たちですから。
それにしても、こうした教学の環境が提供されるということは、自分
たちはなんと恵まれているんだろう、と思うんです。
定価¥1000ですからねぇ・・・。
>>随分時間がたってしまいましたが以前私が書き込んだ生意気且つ増上慢な発言
>>につき、訂正し反省をしたいと思います。
とんでもないですよ。そんなこと言い出したらあっしなんざ年がら年中慢心発言
ですわな。(-_-)
ここはそんなことはあんまり気にしないで、気のついたことをどしどし遠慮なく
発言できるところに良さがあるとおもうんですよ。
だって、あんまり慎重に考えたらなにも書けなくなってしまいますよ。
「身内」の掲示板ということで、これからもバンバンいきましょうよ。
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役員会 名前:otama 登録日時:6月 21日(金) 12時35分43秒
電話してもお話中ばかり
某ボート置き場
今晩役員会なんだけど
月末の法華講大会の事だとおもう。
東京大会の事情なんど
どうなってるのか、みなさんに発表しなくていいのか?
一般信者は、その後どうなってるのか
何も知らないよ。
当事者がいないと、何も分からない。
今の所、東京大会に付いて話すコーナーは予定してないようだけど
それでいいのかな...。
わからんけど...。
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ぬえの鳴く日々 名前:五月蠅@タグ 登録日時:6月 21日(金) 14時00分36秒
だめよ、[正信会やお寺は]指示系統がほぼ皆無状態ですから。
連絡網なんざ個人レベルで勝手にとるしかなくて、はなから無し。
んでそのことを前々から、ほんとに前々から叫び続けているってのに
五月蠅い者の進言なんざあなたシカト状態ですもの。
そうじゃないってならそれなりになんか言ってきてもらいたいもんだ。
ったく。
だからって勝手に動いたり連絡したりすっと「どーもアイツはあぶない」
みたく敬遠される感じ。「頭越しに連絡とったりすんな」って感じ。
理屈こねたり馬鹿元気でみんなを引っ張ろうとすっと「学会の垢がとれてねえ」
って感じ。
なにをどこまでやればいいのか、ぜんぜん見えてこない。
嫌になったよ俺は、ほんと。
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欠席願い。 名前:タグボート 登録日時:6月 21日(金) 15時52分56秒
↓という愚癡はともかくとしまして、すみませんが役員会には出席できません。
仕事の関係上、遅くまでPCに張り付いていなければなりませんので。
ご住職にも報告申し上げているのですが、今年後半は「金土日」の会合やその他
の集会などにはほとんど出席はできない状況になりそうなんです。
なんとか「御講」だけは無理してでも出席していくつもりですけれど。
在家の主たる仕事は、なんといっても世間で仕事してお金を稼ぎ、すこしでも
お寺にご供養させていただくような境涯になることに尽きるようです。
御法門のことは出家僧侶にお任せする。そういうことでしょう、きっと。
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いそがしうなった 名前:おたま 登録日時:6月 21日(金) 17時06分48秒
仕事が忙しい。
それはめでたい。
>在家の主たる仕事は、なんといっても世間で仕事してお金を稼ぎ、すこしでも
>お寺にご供養させていただくような境涯になることに尽きるようです。
>御法門のことは出家僧侶にお任せする。そういうことでしょう、きっと。
なんか、もっとみたいだけど
このサウンド
なんか、素直じゃないなぁ。
あなたが仕事に忙しくなるのは
かみさん同様、うれしいことだけど...
御法門のことはともかくも
いろいろおまかせしないでねぇ。
なんかひねくれたの?
ただ忙しいなら
うらやましい限りでやンス。
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岡山行ってました 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 23日(日) 13時38分11秒
こんちわ。
興風談所の勉強会に行ってました。私も自分の研究を再開しようと思って帰ってきました。
で帰ってきたら、仕事がどっさりで。。。
頭がこんがらがっていますから、順不同で箇条書きに。
○タグ師、写真ありがとうございました。御返事遅くなりすみません。
鏡像7月号の表紙の件、決まり次第ご連絡します。
○白蓮院の件
「正信会は謗法であるとの発言」「この夏から帰山をとの発言」等の理由から、
同寺院に東京6か寺で質問状を出しました。これは教区会で話しあうことだったのですが、
その回に限り、欠席したので手紙ということになりました。
この報告がうちの役員会であったそうですので。
○「危うし正信会」猪又法智著 について
この本について、大体の内容はうわさで聞きましたが読んでいません。
ただ、この本を紹介したサイトがあり、正信会僧侶の連絡用専用掲示板にそのことが載っていました
ので、坊さんは知っているでしょう。ネットを見る人は。
この本をネタに言い寄ってくる山側の信者や学会員などがいないとも限りませんので、ご参考までに。
私がちょっと気づいた点を。
・「異端児は切り捨て?」の思想について
そのようなことは無く、兄弟弟子や教区で説得に行っとります。また、そのような方がどんな意見を
もって正信会から離れたのか、述べられていません。調査不足なのか割愛したのか、いづれにせよ
正信会に対して反論する意図の本ですから、当り前といえば当り前ですが。
・「本尊模刻」について
詳しく知りませんが、少なくとも「模刻」ではないですね。また、それに「関与」したとされる人が
数名書かれていました。「模刻」「関与」等の言葉を使う時点で、鼻からケンカ腰だと分かるのですが。
少なくとも黒木師は関与(?)してませんよ。私は何年も一緒に住んでいた方でよく知っていますが。
また、うちの住職とかは、相談とかあったんですかね?知りません。ただ、一考は要しても「謗法だ!」
と言えるとも思いませんので。
・血脈の否定について
坂井法曄師の論文に、
道郷論争はなく、また相承は「目師→道師」だけではなく、「目師→郷師」もある
との論旨が述べられていました。これをみて「血脈を否定した!」なーんて騒いでいるわけですが、
「論文をちゃんと読みなさい」といいたいですね。あと、学術論文という事もお忘れなく。
私も坂井師の論に大賛成ですし、私の修士論文にもこれを肯定した上で論を進めましたが。
書けば色々ありますが、信仰に関わる点だけを述べますと、「相承」という言葉は昔はよく使われて
いたわけで、その辺から勉強しなければいけません。「血脈相承」なる言葉も一考を要します。
うーん。簡単に書くと血脈の次第は今のままで間違いありません。ただ、今とは違う認識だった。
当時は現在のような血脈の儀式は無かったわけですから。血脈をうけた方は複数いました。
また、それと寺院は直結もしません。目師は自分の後継ぎは郷師だとしましたが、富士門の
代表者は道師だと思っていました。なぜかといえば、目師と道師は興師の兄弟弟子だからです。
郷師は目師の弟子です。で、目師は大石寺のほかに本山級の寺院をどうしても大聖人生誕の地に
建てたかったわけです(誕生寺なんてずーっと後の話ですから)。ですから、自分の意志を弟子に
託した訳です。大石寺は大石寺で本拠地ですから、道師が継いで、しかるべきです。
ただこれだけです。
あとは、後代になって土地の問題で訴訟になりましたが。これを書くとややこしいので知りたい方は
個人的にどうぞ。
んなわけで、坂井論文で血脈の否定なんてしてないです。
・聖人展について
ここで宮沢賢治だとか高山樗牛だとかを紹介したことが謗法だと。国柱会だから。
あほくさくてやってられません。両氏とも、国柱会の思想を否定し、樗牛なんかは運動を起してます。
最後までちゃんと読めっちゅ―の。
ただ、脱会はしてませんが、会員としての活動もしてません。両氏が死んでから、国柱会が
「二人ともうちの会員やで〜」と宣伝に使いました。それから、田中智学のことを結縁の師とは
思っていたでしょうね。それまでは大聖人の方には触れなかったわけですから。思想は違っていましたが。
紹介したことについて。「大」の字と同じ理由です。
・「信者は勉強しなくていい」のこと
誰が言ったかは知りません。私は大いに勉強すればいいと思いますね。
ただ、お講にも来ずに変なうわさで信心がフラフラしている人、また、上の例のようにきっちり
文章を最後まで読まないような人、勉強の態度がしっかり定まっていない人などは、我見でものを
判断しがちですので個人的に「勉強せんでいいから信仰せい」というのかな〜?
長くなりましたので、また。
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思い出す...長男は四歳だった。 名前:otama 登録日時:6月 23日(日) 23時12分14秒
絶好調!
いいっすね。
どっちにしろ
直接とっかかって来る度胸も無くて
webで挑戦状ってのは.....もう悩んでる状態とはいわないし、
正邪をただすって気風じゃ無い。
私も、アホながら
創価学会に疑問を抱いた時は、ちゃんとアチコチ筋を通して聞いて回ったよ。
お寺もご遍路みたいにアチコチ尋ね回った。
行法寺だけに聞きに来たわけじゃ無い。
最終的に選んで身を落ち着ける決断をここに取っただけだ。
まあ、懐かしい、若き時代の話だけどね。
直感だけじゃやばい。
直感なんて、その本体が生半可な時は、冴えてるわけが無い。
ましてや、かの団体の教育宜しく、正しい時は良い事ヅくめで
まがった時は悪い事づくめという
単純な正邪判断図式によっては、マトモな判断は出来ない。
良い事と悪い事は裏表一体なのだ。
創価学会から離れる時は、(忘れもしない七夕の日)
長男が頭蓋骨折をして、脈も見る見る止まり、命が危うくなる事故があった。
それをもって正邪の判断をするならば、
学会に反旗を翻そうとする者に下った罰という事になる。
ビビルには充分な現象と言えた。
けれど、私はそれによって決断したねえ。
「モタモタしてんじゃねえ!」ってことか!。
生死を彷徨う長男の枕元から、学会離れの手続きを保垣夫人に頼んだ。
ちょうど、そのころ、本山では、御先師が亡くなった。
不思議なタイミングの御縁だった。
その長男も、立派に社会人になって、先日、彼の女に御受戒を受けさせた。
あの頃は、サンザ近所には罰だといわれたがねえ。
罰だ功徳だ。良い事悪い事。
いったい、いつ、どんな風に判断するんだ。
物事は単独で飛んでくるわけじゃあない。
セットで時間軸とからみあって進んで行く。
その基は、
三宝と心を同じにして、自分の関わる他の命の為に何ができるか、という
小さな、アホだけど真摯な心だ。
たのむぜ、BABY!
頭をなでてくれようが、つまはじきになろうが
そんな事はどうでも良い事だ!
死ぬ時に、自分の事ばかり考えなかったよ。
上手く出来なかったけど、精一杯やッタよ!と
清々した顔で死にたいだけだ。
ここぞって時には、生半可じゃ無い。
誰かの命がかかるって事くらいの、覚悟はしないとね。
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私はこのように考えますが。1 名前:富野 登録日時:6月 24日(月) 14時33分02秒
私の意見 1
はじめに、こうした問題をやりとりする場合には本来なら私信としてメールにて往復するべきものだとは思います。しかしまた内容的には個人の問題に帰する事柄としてはあまりに重大なものも含んでおり、個人の考え方だけで解決できるようなものではないと思うので、むしろ同じ志を持つ者の集う場所にて広く論議したほうが正しい解決方法が求められるのではないかと思うので、閉鎖されたやりとりではなくこの掲示板上にて疑問を問いかけさせていただきたいと思います。
まず、行法寺所属のY氏について。
彼とは東京大会の計画が始まったあたりの時期に堂内ではじめて会いました。
仕事はPC関連であり、非常に冷静で論理によどみがなく、また真剣な信仰姿勢であると感じ、人手不足のおり、ぜひ行法寺の各種企画に参加してもらいたい人材ではないかと思ったものです。行法寺HPの運営などにはとても必要な人材だと。
そこで、ご住職はじめお寺の方に「彼はどのような人物でしょうか」とお尋ねしたところまだなんとも言えないが余所のお寺から移ってきて、以前のお寺でなにかあったらしい、とのご返事内容でした。
その後彼からはよく自分の自宅に電話などがあったり、行法寺での法要などの帰りに立ち話などをするようになるとともに、彼が、故石田次男氏の仏法解釈に強く信奉しており、宗門や学会のありかたに強い憤慨をもっていることを感じました。
自分もそうした気持ちは痛いほどわかるので「それならなおのことこうしてご縁があった調布で一緒に信心を高めあって頑張っていこうじゃないか」と握手した次第です。
しかし、その後Y氏の吐露する心のなかを聞いておりますと、とても強い批判精神と僧侶一般にたいする不信感があるのもわかってまいりまして、なにか過去にいやな思いをしたことがあるんだろう、しかし、すこしづつでもお寺に足を運ぶところをみると、求める気持ちは純粋にある、と思われて、話の相手をさせていただきながら、なんとか我々とともに仲良く信心に邁進していけるように期待をもっていたわけです。
そうしたことも含めて、彼の話からそのうちに彼が不満に思っていることを公言するようになるので、そのように悩んでいることを早期に解決してさしあげなければいけないのではないかと御僧侶にはたびたびY氏のことを相談したのですが、あまり積極的なご指導はいただけず、自分の判断にて今日まで交流を続けているわけです。
そしてとうとう今回の彼のウエブサイトが公開されたわけです。
止めることができませんでした。また彼の意見には私自身も思い当たることが多々あるために、彼のこの行動を否定するところまで気持ちは動きませんでした。
どうせなら本気で取り組んでほしいとまで思います。
単なる私憤もどきでの悪口雑言で終始するようならつき合いを考えるつもりでした。
自分としてはこうなるまえに、彼の疑問や悩みをよく聞いてあげて、納得させてあげていればこのような行動には彼は出なかったと思います。
子供の話をよく聞いてあげない親は、ある時、いきなりぐれた子供に慌てさせられるものです。「信」がなんであるかなど、成長期の子供には理解できないからこそ、それを知っている親が親身になって教えてやらなければいけないのではないでしょうか。
いったん不良化した子供を「ああ、やっぱりあいつはぐれる習性があったんだ」とか「だから最初から信用できないと思っておった」などと思うことは、完全に親権放棄であり、怠慢のなにものでもないと、自分は考えるわけです。無責任であり、懈怠であり、大嫌いな人種です。
少数でありながらも正法正義を貫かんとしている自分たちの仲間が、不信感をもってしまうようになるには、それにはそれなりの理由があるはずです。
それも反省せずして、高みから軽蔑するようなありかたは、池田氏や日顕氏を批判する自分たちの振るまいではないのではないでしょうか。その資格がるのでしょうか。
彼は体を張って、一人で、なにかものを云おうとしています。
たとえそれが稚拙であろうとケンカ腰であろうと、こちらにむかって問いを発しているわけです。そのような問いに誠意を尽くして、答えるべきことには答えていくのが正信というものではないのでしょうか。
「ふん、なにか野良犬が吠えておる」という態度だけは自分には生理的に我慢がならぬものであり、そうした姿勢が色濃く出てきたので、はるか昔ながら学会から去った自分でもあります。
凡夫のままで成仏できるというところに自分は真実を感じ、頭の善し悪しや権威やら立場などの違いにはこの仏法は関係ないというところに未来を感じるからこそ、命もいらぬと忠誠をお誓いしているわけです。
しかし、ついてくる者は大事にするがついてこないものには勝手にどうぞ、というありかたは果たして正しいのでしょうか。縁なき衆生には眼も向けず、という感覚で正しいのでしょうか。そこに反省判断を向ける必要はないのでしょうか。
大聖人さまに果たしてそのようなお振る舞いがありますでしょうか。
そのようなところが起因して「権威主義の僧侶」「民衆不在の寺檀」「上下意識の僧俗」と誤解されるようになってしまったのではないか。ほんとうは違いますよね?それともそうなのでしょうか?出家と在家とはどのようなポジションなのか、しっかり教えてもらいたいほどです。
体を張ってものを云ってる人間に対して、片頬をもって一笑に付す、という姿勢はけしてよくありません。誠実によくよく話をするべきです。放置したり黙殺したりすればその野火は燎原に広がるものです。山口師・猪又師その他もしかりです。きちんと解決しておけば、あのような書籍が世に現れるわけがない。恨みを買うようなことがわずかでもあったればこそ、いつまでもいつまでも彼らはものを云ってくるのだと思います。
それが今後は一気に噴き出してくる情報を自分は各方面から入手していればこそ、心配に心配を重ねて、正信会御僧侶がたにその対応をお任せするしかなくなっている状況なのです。どうか我々が命をかけて身を寄せているこの寺院、講、会が正しく対応いたして、ああやはり正信会は本物だ、きっといつの日か、正信覚醒を成就して、仏をたてるだろう、と信じさせて頂きたいのです。
僧侶が「信心が大切」と仰るとき、それはご自分にも当てはめておられるのか。
僧侶も信者を「信じ」なければこの法はたたないと思われます。
たがいに不信が内在してのふれあいでは、まず10年ももちません。偽善は必ず地の底に落ちると歴史が語ります。
今回の白蓮院古谷御尊師の件についてもそれは同じであろうと推測します。
あれほど東京七ヶ寺合同、と声をあげて努力したのにもかかわらず、同胞の離脱の危機が目の前にある。
優しいふれあいもなく、透明な意見交換もなく、おざなりのかけ声ばかりであったがゆえに、こうした現実に直面するはめになるわけです。
そのことを自分はもう何年も機会ごとに、柔らかくではありますが、遠慮しながら示唆してきたのです。
しかしながらなんのご返事も、具体的な指針もいただけず。
人が馬鹿にみえたらおしまいです。
そこには信頼も絆も失せてしまうでしょう。
光瑞師の反駁論旨には非常に乱れが見受けられます。
自語矛盾に気づかれませんか?
また慈悲をもって教導させてもらおうとする姿勢が感じられません。
興風談所は東大ですか?若者の憧れる権威でしょうか?
古文にその名を轟かす談所ではありますが、だからといって今回のこの下克上サイトの問いかけに答えているとは申せません。
ご自身で確認したことよりも噂話をうけての範疇での反論をまぬがれておりません。
正確な証拠や緻密な反論をこそ必要としているのであり、感情がらみや好き嫌いのレベルでは収まりそうもない動きが現在水面下で起こっていることをぜひ自覚していただきたいのです。
正信会僧侶の魂の真偽が問われる局面です。これも現今の内外を鑑みて、御仏智であるのかもしれません。
ぜひ真剣かつ正覚のご慈悲を奮い起こして、いまあるこの問題に取り組んでいただきたいと切望するものです。
間違えていただきたくないのは、私が行法寺に不信を起こしており、なにかしでかそうと画策しているわけではありません。家族ぐるみでの菩提寺になにを矢など向けましょうや。
ただ、こうした機会に徹底的に自分たちの信心姿勢を洗い直して、是々非々、よくないところがあるのなら反省して正し、また意見をいってくるものの言動に問題があるのであれば誠心誠意をもって折伏し、正常なる信心に戻してやる。
それが「正直」ということではないでしょうか。
忙しい忙しいと仰るが、それはなんのためでしょう。目的はなんのために忙しいのでしょうか?迷える信者を救えずして、なんの忙しさなのでしょうか。本末転倒ではないかとおもうわけです。
以上ながくなりましたので、続きは今後ということで。
乱文失礼。
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お返事。 名前:富野 登録日時:6月 24日(月) 16時25分05秒
▼以下、少々生意気な物言いになりますが、重要な問題なので失礼ながらご指南願いたく、反論めいた文を書き込みさせていただきます。
また内容の性質から引用が多くなりますことお許しください。
> ○白蓮院の件
> 「正信会は謗法であるとの発言」「この夏から帰山をとの発言」等の理由から、
> 同寺院に東京6か寺で質問状を出しました。これは教区会で話しあうことだっ
「何が謗法なのか」「帰山する条件は何か」など、きちんとした文章を書簡でやり取り
して、公開して、初めて判断できる事ではないでしょうか。
> ・「異端児は切り捨て?」の思想について
> そのようなことは無く、兄弟弟子や教区で説得に行っとります。また、そのよう
僧侶だろうと信徒だろうと、異端論を口にする、疑うと、態度を変えるという姿勢はまったくないといいきれるでしょうか。「説得」が「お前の信心はおかしい」ということにすりかえられたりしてませんでしょうか。
> な方がどんな意見を
> もって正信会から離れたのか、述べられていません。調査不足なのか割愛したの
それを全部載せたらちょっと騒ぎになりませんでしょうか。
非常に多くの問題点(証拠有り)が山づみであり、そんなものを全部誰かに公開されでもしたら、結果、正信会が困ることになります。
批判者をあまり舐めないほうがいいと自分は思います。ことはそんなに簡単で小さな声ではないから慌てているんです自分は。
> 詳しく知りませんが、少なくとも「模刻」ではないですね。
詳しく知らないものを「模刻」でないと言い切るのはあまりに短慮では。
当時、九州地区の僧侶は「そのような事実は一切無い」とまで言いきって否定していた
のです。
興大寺の過去の会報に「仏と等しいような人でも、本尊を作ってはならない」と言いきったものもあるようです。
もっとも自分の考えでは「正しい僧侶」が謹刻されたものを模刻とは云わないと考えますが。このあたりは自分のような浅識のものがやたらに申すことではないとも考えております。
> 数名書かれていました。「模刻」「関与」等の言葉を使う時点で、鼻からケンカ
> 腰だと分かるのですが。
「模刻」「関与」は「ケンカ腰」でしょうか。
ニュースで「〜が関与している模様」と言えば、状況説明であって、罵倒、罵声の類の単語ではないと思われますが。
偏に狭しては話の根本がどこかにいってしまうと思います。
> 道郷論争はなく、また相承は「目師→道師」だけではなく、「目師→郷師」も
> ある
つまり何十年も争ったと言われる道郷論争は存在せず、日郷にも血脈はあるという考え
と受け止めてよろしいのでしょうか。
> 学術論文という事もお忘れなく。
仮説だとしても自分の学的判断で「採用」したから「公開」した以上、責任は生じませんか?つまり学的に研究したらそういう結論が出た。自分はそれを採用した…と言うのが坂井氏の論文ではなかったのですか。
> 「血脈相承」なる言葉も一考を要します。
となると、これからの正信会は日達上人の血脈をどこまで認め、また長い間「謗法」と
攻めてきた日郷の系列、日蓮宗富士山久遠寺や保田妙本寺の管長にも血脈を認めるということになりはしますまいか?
辻褄が合わなくなりませんでしょうか。
>血脈の次第は今のままで間違いありません。
それでは日郷はどうなるんですか?
>ただ、今とは違う認識だった。
先達の流儀は尊重しないのでしょうか?
途中で変えることを異流儀と呼ぶのではないですか?。
どこの時代から正式に採用して良いのでしょうか? 御身の解説ではそれが明確にならずあやふや感が否めません。
悪口になるやもしれませんが
「今の血脈を否定すると問題が起きるからしないが、本当は日郷だって血脈はあるんだ」とということですか?
しかし、そうだとしたら今の妙本寺の管長も本尊書写して良い事になりませんか。
それはまずいです。阿部宗門から叩かれる。
もっときっちりした理論武装を構築していただきたい。
> 当時は現在のような血脈の儀式は無かったわけですから。血脈をうけた方は複数
> いました。
これは日蓮正宗の歴史をひっくり返す発言になってしまう。お気をつけください。
公の場で法論が展開されたとき、このような発言をされたら、ぜんぶぱあです。
このような重要な部分をていねいにしておかないと、身延も高山樗牛も同族同胞だと思っていると誤解されてしまいます。
それとも、そうなのですか?ちがいますよね?
> 坂井論文で血脈の否定なんてしてないです。
否定はしていなくても今まで謗法だと騒いでた僧侶にも血脈の正統性を与えたわけだか
ら、日達上人までの管長が主張してきた事を根底からひっくり返すにかわりは無いのではないでしょうか。
> ここで宮沢賢治だとか高山樗牛だとかを紹介したことが謗法だと。国柱会だから。
> あほくさくてやってられません。
正信会継命新聞社が出版した「崩壊する池田創価学会」1990年発行のP236には、彼
らが田中智学に影響を受け宣揚するに至ったと記し、徹底的に国柱会を批判しております。
それがなんで、今頃になって、「影響を受けた人」は無罪放免なのかが了解できないのですよ。あほくさくはありません。
土光会長に至っては「毎日読経した仏前」として邪宗化した仏壇まで撮影して紹介。おしきみでなく色花が上がっている事に違和感を覚えませんか?自分は異様なものを感じます。
ですから途中から一連の設営サポートなどから降りさしていただいたわけです。
不安でたまりませんでした。誰にも相談できず。
> ・「信者は勉強しなくていい」のこと
> 誰が言ったかは知りません。私は大いに勉強すればいいと思いますね。
しかしながらその「勉強」の内容には条件がつくのではないですか?
青年部引きつれて大石寺御影堂で正信覚醒の成就を祈願する唱題会開いていいですか?
また行法寺のHPで「大石寺に帰ろう!阿部宗門から取り戻そう!」というキャンペーンを張ってもよろしいのでしょうか?あるいはその音頭をとっていただけますか?
5年以上も経つのに、不肖の倅がいまだ「摂受と折伏」の違いも知らず、自分が朝夕唱題している本尊の相貌の意も知らず、三秘も知らず、宗門・学会とどこがどう違うのかも明確に知らず、それでいいのでしょうか。(まあ、うちの場合はしかたがないので自分が教えてますけど)
尋ねてくれば教える、では如何かと思うわけですよ。
以上それもこれも、正信の御僧侶にはしっかりしていただいて、自分ら無明の者どもをどうにかしてこの丑寅のなかで灯台となって化導していただきたいのです。
不信では絶対になく、ひ弱な有り様にそろそろしびれがきれているわけです。
強力なる信心の姿でもって、世の迷えるものに正信覚醒を促していってほしいわけです。
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いきなり失礼します。 名前:古城 正信 登録日時:6月 25日(火) 01時11分59秒
はじめまして。古城正信です。二週間前ぐらいから、見させていただいてます。最近のこのページを読んで思ったことを書きたいと思います。
まず、この名前。行法寺の方しか見れないのですよね?じゃあ、皆さん本名にしませんか?初めてみた僕にとっては、いったい誰が誰なんだかわからなくて、話の内容がつかめませんでした。皆さんが楽しみでやっているなら別ですが。
さて、次に内容について。この二、三日、僕の知らないことがどんどん書かれておりびっくりしました。そうして、僕が故郷にいるときから思っていたことが少々あたっていることが判りました。それは、「正信会はあまり団結が強くないのではないか、そして、団結を強くするべきではないか」ということです。ここで言う「団結」は創価学会みたいなものを指してはおりません。それぞれのお寺に個性があってもかまわないと思います。というよりも、個性があるのが当たり前です。ただ、「正信覚醒」という同じ、ひとつの目標をもって活動している、これが大切だと思います。しかし、今は正信覚醒運動が始まって20年以上がたっているのではないでしょうか。ここにきて、「正信覚醒」とは何であるのか、がわかりにくくなっているのではないでしょうか。最近の白蓮院の問題(知らなかった)もこの類のような気がします。内容を知らないくせに言うのは悪いと思いますが。僕もお寺で「正信覚醒運動」とは何なのかとはっきりと教わった記憶がありません(もしおっしゃっていたのならすみません)。今はもう一度「正信覚醒運動」とは何なのかを考えてみる必要があるのかもしれません。
僕は生まれながらにして、正信会の信者でした。親からは「福子」だといわれました。そして、福子であるからには「使命」があるといわれました。使命の内容までは、うちの親は言いませんでしたが、私は何か正信会のため、日蓮正宗のためにするんだ、しなければならないんだ、と思いました。親が僕の名前を「正信」とつけたのにも何か考えがあってのことだろうと思います。そして、物心がつき、信仰していくうちに、御書に「成仏するには命を捨てるほどのことが無ければ成仏はできない」という趣旨の御文がありました。それから、私は正信会、大聖人の仏法のために命を落としてもかまわない、と思うようになりました。
だから、僕は何でもします(人殺しや傷害等法律に反するものは除く)。今東京大学に通って弁護士を目指しているのも、伝法寺・妙伝院のご住職が、弁護士がほしいなあとおっしゃったことが理由の大部分をしめています。一般の方に言ったら笑われるでしょうね。僕の夢は、正信会をもっと一体感のあるものにし、創価学会・宗門との裁判にけりをつけ、大石寺が元の清流に戻ることです。その後、自分の命がまだあったなら、それは自分に残された余暇です。信仰を続けて、山登りでもしようかなあと思います。
結局何が言いたいのかよくわからなくなってしまいました。とにかく、最近のこのHPを見ているといてもたってもいれなくなってしまいました。長くなりましたね。とにかく信心が基本ですよね。ほんとに。
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軸足は? 名前:otama 登録日時:6月 25日(火) 11時01分26秒
一昔前、「糺す会」というのを発足させたことがある。たしか東京の法華講連合(?)
イイ名前だったが、創価学会関係の事に限られていたように思う。
「ただす」、正信の徒は、とにかく、たださなければいけない。
いつも、ただす気風が大切だと思う。
けど、一番大切なのは、自分の軸足のあり場所と、在り方だ。
行法寺に身をおいているから、軸足はここにアルってのとは違う。
ハッキリ言って、Yさんなるもの。軸足が、自分の所属するこの団体では無くて
石田氏の思想だったり、他の人のものだったり。
まあ、この団体と言わなくても、..そう皆さんを愛せる人って稀だから
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何の問題もなし 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 25日(火) 17時19分49秒
なんか、いい感じになってきましたな。身内だけだからだけど。さて、
>古城君
いらっしゃい!ちょっと最近ヘビーな話題だけど、頑張ろう。
分からんことはいくらでも聞いて下さい。私が分からないこともあるけど。
あと、実名にしなかったのは、この場所が完璧なセキュリティーじゃないからです。
ログを残さないのも同じ理由。まあ、完璧な防御などありえず、またここが見つからないだろうし
見られてもそれほどのことではないからいいのですが。面倒なので。
>タグ氏
まず最初に、すくなくとも我々の中ではケンカ腰はやめてもらいたいです。
違うというのでのあらば、そう取られるであろう文言を。
それから、例のサイト、Y氏だとは思っていませんでした。今、下のカキコを見て初めて
そう断定しました。
あともういっちょ。なぜY氏の名を伏せていたのですか?大切なことはちゃんと言っていただきたいです。
それからまだあった。私のカキコは論文ではありません。思ったことを述べたまでです。
論文を書くには時間がかかります。しかし、私の推定はある程度本物です。文字に残すものには
ほとんど、そう信じるに値する裏づけがあります。私はそういう性質ですから。
一部例外もありますが。気分に任せて書くこともたまにあるけど。
さて
・道郷論争について
道郷論争はなかったとおもいます。無論断定は出来ませんが、あったという明確な証拠もありません。
道郷論争の初見は大石寺の日精上人からです。明確に時代が特定できる文書は。
それ以前にあたる文書は、別件で保田と大石寺が争ったもので、上代より少し時代が下ります。
直接本人同士が争ったという証拠にはなりません。
・相承について
古文書には「何月何日どこでだれだれより相承を受けた」という文字が沢山あります。
今でいえば、「大切な教えを受けた」という意味あいでしょうか?
・血脈(の次第)
「正しい法を間違いなく受け継いだ」ということです。ただそれが一人とは限りません。
さらに、大げさな儀式が最初からあったわけでもありませんし、当の本人がそれをその時(刹那)に
認識していないこともありえます。「本人同士である特定の時に」というよりは、「あとから考えると」
という意味合いの方が強い気がします。ただし、「上代の文書から確認するに」ですよ。
で、そう認識した人はほぼ間違いなく正しい法を持っています。しかし、そうでない人もいます。
沢山。
ところで、ちゃんと伝わっていない貫主がいたとして、それで正法は無くなるのでしょうか?
もっといえば、坊さんがみんな死んだとして、正法は無くなるのでしょうか?無くなりません。
そのために、富士の法門はいたるところにあらわされているのです。文書として、化儀として、
そして、正信を貫くご信者によって。
ただし、現在に伝わる血脈相承の儀式はいらないとも思いません。それはそれで大切に残さなければ
なりません。なぜなら、それがこの法を正しく残すために考え出された先人たちの智慧だからです。
大ご本尊に対しても同じことが言えると思います。そこに流れる法門や精神が大切なのであり、
物質はいつか滅します。かといっていらないということでもなく、それを大事に考えお守りする
精神が大切なのでは無いでしょうか?
・郷師について
間違いなく、名実ともに敬うべき富士門の正師でしょう。保田門流が後代間違った方向に行ったからと
いって始めからすべて間違っているということにはなりません。その末寺の定善寺。正宗に帰一する前
の最後の弟子三人はみんな正信会です。で、総本山の大石寺。今の姿はどうでしょう。
・・・保田の門流が謗法であるという認識は間違いです。確かに長い間大石寺と争ってきましたが。
この強烈な認識は、いつぐらいからでしょうね?4〜50年くらい前からでしょうか?強烈な
すり込みが始まったのは。
調査が行き届いている大石寺は、当時の事を知りうる研究成果は出てきにくいです。
しかし、あまり研究の進んでいない妙本寺は、未だに新しい古文書が出てくるほど研究が進んでいません。
また、長年要法寺の思想が蔓延った大石寺よりも、かえって当時の信仰の面影でも正しく伝えている
可能性があります。化儀として。
また、これらのことは、保田だけではなく、讃岐や奥州に対しても同じことが言えます。
それだけ総本山は、さまざまな障害を受けやすいのでしょうね。
分からないことは沢山あります。例えば「謗施」。定義も対処もあいまいなままです。
ただし、どのような研究結果が出たにせよ、我々の信仰が覆されることはありえません。
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ようこそ! 名前:タグボート 登録日時:6月 25日(火) 17時42分52秒
>古城さん
こんにちは。
積極的な発言、とても頼もしく、嬉しく感じました。
ぜひ今後もなにか思ったことや他の人に尋ねたり伝えたりするために
遠慮なく書き込みなさってください。そういう場だと自分は思ってま
すので。
古城さんのお名前は「正信」とお読みするのですね!
こりゃ凄いや。
ぜひ授かったその尊いお名前を大切にされたらと思います。
私は真面目というか仏法や法門に関わるお話や、責任をもたなくては
ならないお話をここに書き込む時には実名である「富野」を使い、そ
の他、PC関連の話やよもやま話、連絡事項、よた話?なんぞを記す
ときには「タグボート」なるカッコイイ?名前で書き込むように心が
けていこうと思っていたのですが、貴方の指摘を考えてみますと、確
かに本命、もとい、本名で通した方が真摯かもしれませんね。
匿名ってなんだか卑怯な感じもありますしねぇ・・・・。
んでも長く使ってきたハンドル名にも愛着あるし・・・。
ま、ちょっとした懸案事項ですな。(^0_0^)
▼にゃっはりの飼い主→光瑞師(この掲示板の管理人さん)
▼Gokoo→道尚師(常光寺在勤)
▼G3→道成師
▼おたま(時としてotama)→橋本さん(ときどきキレるぞい)
▼ゴジラ→浅野さん(優しいひとだけど飲むと絡むぞ)
▼ファクトリー→小林君(PCは詳しすぎるぞ、変に)
▼タグボート→富野(行法寺の自称寺男を名のる、気が若いおっさん)
▼その他謎のロムさん(読むだけのシンパ)数名かな?
アクティブメンバーはざっとこんなもんかな。
みんなきっと古城さんの参加に大歓迎かと思いますよ。
どうぞよろしく。
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その2 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 25日(火) 18時37分55秒
長くなったから、いったん切りました。
どんな事だって、立場の相違により言える事と言えない事があります。言えない事も時が来れば
言えることだってあります。。。なんでもそうか。
・勉強のこと
内容は何をしても良いですよ。ただ、その態度は制限付です。
これは私がバカだったせいもあるのですが、あるご信者は「信」が無くて勉強したせいで
浄土宗に行きました。ご本尊に大聖人自ら「在御版」と書くのはおかしいと。ご本尊を見て
そう思ったのでしょうね。または、誰かにそそのかされたのか。
その人がどのような人か分かっていれば、「そんなこと勉強せずに朝夕勤行をしっかりしてください」
と言えたのでしょうが。
達師は弟子に神学の勉強を勧めたことがあるそうです。ただし、「きっちりやれ」と。
何の勉強をやっても、それは自分の為になります。ただし、不信で勉強すると、「あ、やっぱり
富士門は間違っていた」となる人もいるでしょう。逆のパターンもあるでしょうが。
やるんならしっかり。努力せずに結果だけ求めるような勉強なら、しないほうがましですね。
・青年部の無知について
これは結構言われるのですが、青年部の勉強会が中々開けなくて申し訳なくは思っています。
まだ確定ではないですが、2・3ヶ月うちに青年部主催の勉強会をやるつもりです。
期間は最低でも2ヶ月に1回です。東京青年会で。決まり次第、ご連絡します。
・白蓮院のこと
私も驚きました。しかし、事実です。
正信会が無慈悲であるとのご意見でしょうが、いろいろな道を模索してきました。
東京教区で今一度力を合わせようという近年の動きも、私は「あのお寺が離れずに協調できれば良いな」
と思っていました。私がここにきて数年ですが、そのわずかな間でも教区会では常に考えてきました。
しかしその度に逆の態度をとられてきたのです。で、帰山という話が起こり、だれよりも同志意識が
強い兄弟弟子が説得。ダメでした。そこで教区では教区会で面と向って話し合おうと。来ませんでした。
その他、とにかく私が直接関わったことだけでも色々あります。
・聖人展云々
「まだ言うか」って感じですが。大聖人のイメージが大きく曲げられている現在、
正しく知ってもらおうというPR展です。対象は当然未信の人。今までずっと昔のことばかりで
身近に感じられない方も大勢いらっしゃるでしょうから、4部が出来たのです。土光さんとか宮沢賢治
なら知っている方も大勢いますし。4部の中で、間違ったこと書いてありましたか?
大勢の人に見てもらうためには、とても効果的だったと思いますが。
少なくとも樗牛に国柱会の思想はありません。そりゃ、田中智学にじかに会ったわけですから
当初は影響されていたでしょうが。論文を書き始めた後期、先にも書いたとおり国柱会のありかた
に疑問を投げかけ、反対運動したのですから。ただし、面と向って名指しで否定することはなかったです。
宮沢賢治も同様。土光さんは、日蓮宗です。上原専録は、詳しく知りません。
で、4部の意図は、4部の人をそのまんま見習いなさいということではありません。
みんな知っている4部のみんなが実は根本は大聖人から影響されたのだということです。
それほど大聖人が偉大なのだと。無論、その志を見習うべきだとは書きましたが。その記述がNGだと
いうのなら、それほどつまらないことはありません。歴史上の偉人は99%富士門ではなく、
しかし誰でも伝記などを読んで、感動し、見習うことはあるでしょう?
そんなことより、何故今ごろになってそんなこというのか、理解できません。
ずっと胸に秘めていたのですか?それとも、最近図録を読んだのか。もしくは
Y氏に指摘されたのですか?
>ですから途中から一連の設営サポートなどから降りさしていただいたわけです。
>不安でたまりませんでした。誰にも相談できず。
これは明らかにおかしいですよ。だってそのとき土光さんの仏壇なんか見たこと無いはずですから。
ものどころか、おおまかな内容を知る前から降りてたのでしょう?運営体制を見て。
・全体的に
しっかりと意図が伝わっていますでしょうか?どうも伝わっていないような気がしてなりません。
道郷論争については、それでもまだ分かりますが。私もびっくりしましたから。
言葉の節々ではなく、意味をとって下さいね。論理的には私の発言はすべて説明できますが、
細かな言葉使いまで考えてはいません。
しかし、HPとか論文となると掲示板の書き込みとは明らかに意味合いが違います。
この場合は言葉遣いまでしっかりと考えられなければなりません。もし誤まった言葉遣いがあれば
著者は謝罪してしかるべきです。
とまあ、疲れてきたのでまた。
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たしかに 名前:コジョー 登録日時:6月 25日(火) 22時25分59秒
>実名にしなかったのは、この場所が完璧なセキュリティーじゃないからです。
たしかに。ということで僕も名前変えようと思います。カタカナに(意味ないか)。
それと、タグボートさんへ、
>古城さんのお名前は「正信」とお読みするのですね
一応書いときますが、「まさのぶ」と読みます。「しょうしん」とは読みません。一応。お褒めの言葉ありがとうございます。この名に見合うようにならないと・・・。(まだまだだなあ)
それから、聖人展について。ご存知の通り、わが故郷である北部九州連合会は、開催を見送りました。理由についてはさまざまあるようです。皆さんがおっしゃっていることもそのひとつにあったと思います。お寺では、聖人展の話は講員も、ご住職(浜中和道御尊師)も聖人展のはなしはあまりしていませんでした。といっても、うちの母はあの図録を兄と僕に買わせて、実家まで運ばせましたけれど。
僕はこの図録を読んで、すごいなあと思いました。あれだけの資料を集めるのは大変だったかと思います。僕の知らないこともたくっさんあり、勉強になりますよ。これが僕の感想です。
以上何かの参考になればよいかと思って書きました。なれば、ですけど・・・。
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何かおかしい。 名前:G3Kodaka 登録日時:6月 25日(火) 23時12分11秒
何かおかしい。
この掲示板が立ち上がったときのことを思い出しましょう。
あくまでもこの掲示板は、それぞれの正信の思いを綴り会うところ
ではなかったのでしょうか。学びあうための場、自身の研鑽の状況
吐露する場だったはず。
パソコンを通しての、ネットを通してのテキストの送り合いだからこ
そ、マナーに人一倍、気を使わなければならない。ネチケットという
言葉もこの掲示板で教わりました。
あくまでもこの掲示板は、連絡網的存在だと私は思っています。
腹を割って話しあわねばならぬときは、その人の声を聞いて、顔を見
て、目を見て話しをするというのが、基本ではないでしょうか。
こと今回のタグさんの疑問点については、13日に住職と話をされた
おり、氷解したと聞いていましたが、やはり、まだ納得がいかないと
ころがあるようですね。
とことん話をしなければ納得しないところまで来ているんでしょう。
どんな形で話しあいをしなければならないか。それを考えています。
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辛口にて御免候。 名前:富野 登録日時:6月 26日(水) 01時10分44秒
>G3さま
なるほど、こうした話題や切り口はいかんのですね。
いま、誠意をもって自分などの議論ふっかけに応じてくださっている、にゃっはりさん
のお答えに対して、精神を削りながらそのお返事をタイプしていたところなんですが、
G3さんは私の疑問や苦しんでいるところのものをお読みになって、なにかご教示して
くださるわけでなく、このような書き込みは不和であるとお叱りになるわけですか。
わかりました。ここで終了させていただいても結構です。
ただ、「なにかおかしい」とはなんのことでしょうか。
仲良し子良しの、差し障りのない、波紋を起こさない、耳障りのよい話。
そうではないからおかしいのですか?
>あくまでもこの掲示板は、それぞれの正信の思いを綴り会うところ
>ではなかったのでしょうか。学びあうための場、自身の研鑽の状況
>吐露する場だったはず。
それを私はぶつけてみているわけです。
友人ということをちょっとどけて、在家の立場から御僧侶にお尋ねして
真剣をもって対話しているわけです。
それによって、そこで御指南いただけた糧をもって、私は私の友人たち
を折伏しようとしています。
しかし、それが無礼ということならば引っ込みましょう。
五逆をはたらくつもりは毛頭ありませんので。
私は、こうして書くこと、文章のやりとりだからこそ、整理されて明晰な
話のやりとりもできるのではと考えます。
もちろん直接会ってお話するのも大切ですし、一対一の対話が基本だとは
承知しております。
しかし、ここはある意味集会所であり、複数のもので互いの考えや見解を
出し合うという場としても、時間的空間的な意味から非常に有意ではない
かとも思うのですが。
全員がどこかに集合して座談をするといっても、なかなかいままでの状況
をみても難しい点がありますよね。委員会の会議をみてもそれはわかりま
すでしょう。
表情が見えにくい文章での参加という制約はありますが、自分の考えをよ
く練って、納得いくまで考えてみるという時間的なメリット、相手の話を
何度も何度も読み返して、その意とするところをくみ取るメリット、責任
をもった話を渡せるメリット、議事録として残せるメリットその他、掲示
板ながらここで話し合えることは多いのではないかと考えます。
いや、むしろ、顔をみて話さなくても
よいからこそ、本音や云いにくいことでも伝えることができるのではない
かとも思うのです。
また単なる「連絡用掲示板」になさりたいのでしょうか。
それは委員会掲示板と同じことですね。
だれも恐がって書き込まない、あんまり閑古鳥がないているので長が、も
っと積極的に書き込めと号令する、ならばと書き込みがいくつかある、と
たんに、そんな書き込みはよそでやれ、とくる。
あんまり身勝手ではないでしょうかね。
美味しいところだけ出せってのは無理です。
生きた人間が忌憚のないところを述べることは、決してネチケット違反で
はありません。もちろん常識というものはあっての話ですが。
ともかくもちろんいまの私は非常に不満といいますか、ハラワタが煮えく
りかえるほどの思いもないとは申しません。しかし、それは義憤であって
私憤ではありません。
やることはやらせて文句や意見は言わせない、という宗教団体とは一線を
画す集合体であったはずです正信会は。
またそうした個人的な感覚による思いは、それこそ一対一で話そうとは考
えてますが、ここ一連の私の書き込みはそのような動機ではないのです。
にゃっはりさんやG3さんが私のつたないquestionにどうanswerしてくだ
さるのか、またロムされている他の方々の意見などもお尋ねしたかったの
です。純粋に疑問を感じていることを正直にお尋ねすることはいかんので
しょうか。
毒気のある話題でも、さらっと正直に話し合える仲間とばかり思っていた
のですが。
あまりに臆病ではありませんか。正信会全体が今、臆病風に吹かれとります。
あれほどの心意気で活動した方々が、いまでは保身にとりつかれ、権威主義
に落ち、どこにも行けない可愛そうな信者の道行きすら示せず、喧嘩すらで
きず、掛け声ばかりで各寺はバラバラ、そんな状況でも信者たちの真心から
の協力を使い捨て状態。そのようなありかたで講に活気がよみがえるとお思
いでしょうか。
好き好んでだれがこんなことを発言しますか?
現在までの私という人間をよく知っておられるG3さまだからこそ、私の現在の
心中を察していただきたいです。
また同志のかたがたが同席しているなかで、明快な対話をしていただきたいと
思います。
無理を承知であえて言えば、こうした場所にもご住職も顔を出されてもけして
悪くないのではないかと昔から思ってもいました。
僧俗スクラム組んで、ということはそういうことではないのでしょうか。
外には恐ろしいほどの力を得た怪物が待機している状況のなかで、傷のなめあい
ごまかしあいで果たして未来の正信僧俗はあるのでしょうか。
素っ裸になって、ガラス越しでお付き合いしていかなければ、この先絶対にわた
くしたちの仏法は立たないと断言いたします。
むきみでのお付き合いを強く強く要望いたすものです。
こいつ少しおかしくなってる、と高みからのご判断はご遠慮します。
私の申しておることが、法に照らしておかしい場合にのみ、お叱りくださいませ。
語り口調が耳障りということであるなら、気をつけてはいきますが、そんなこと
今後起こる大変化の波に比べれば、鶯のさえずりのようなものです。我慢して
くださいませ。
水をかけるばかりでなく、たまには焚き火に火をつけることも願いたいもの
です。
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忘れ物。 名前:富野 登録日時:6月 26日(水) 01時49分47秒
記述し忘れたことがあります。
>G3さま
先日の御住職との面談は2時間ものお時間を作ってくださいまして
じっくりとお話を伺うことができました。
言語道断。
まったくもっての威風堂々とされたお話に、大変失礼ながら、流石
御住職の信心というものは違うものだ、と感服いたしました。
細かい件についてはわが身の浅識ゆえに、今後反芻しなければ理解
かなわぬものもありましたが、とにかくも恐れ入った次第です。
なにも御住職への質問漏れなどなく、気持ちよく了解できました。
かえって、お忙しいなかでお時間を割いていただいたことで申し訳
なかったと反省しているわけです。
始終お優しい眼で、自分の疑問や質問に淀むことなくお返事を返して
くださいました。
正しくお返事を返してくれないのはその他の方々です。
先日のゴジラさんの質問、あるいはコジョーさんへの返事などはどう
なっておりますか?
正信会は団結力がないのですか、違うのですか?
また以前にいくつかの疑問や檄文などを記述した私へのお返事はその
後どうなったのでしょうか。
あまりに誠意が感じられませんので、自分、怒っております。
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正信会スローガン
●自分勝手な考えや欲望にもとづいて、仏法を解釈し、また利用しない。
●どこまでも正しく仏法を学び、人をあざむかず、ごまかさない。
●自分に間違いがあれば、率直に反省する。
●たとえ権力や権威をもっている人であっても、誤りがあればその人に
同意せず、その誤りを指摘していく。
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トミさんへ 名前:otama 登録日時:6月 26日(水) 05時51分31秒
ニャッハリさんが事細かに対応してくれている。
その一つ一つにどう納得しているのか、それじゃア納得出来ないのか、
よくわからないなぁ...。
第一、その溢れている感情の原点が、
その疑問点を晴らす事ではないような気がする。
私の場合は、
普段からの話や
アチコチ見たり、メールを読んだりした上での感慨になるのだけど
そう言う意味では、G3さんのいう事、わかる。
信心というものは、そうドライなものでは無い。
個人がその歴史と一緒にこころに引きずっているものと
いっしょくたになって、色々と吹き出るものだ。
要するに、何が許せて、何が許せないか。
何を嫌って、何を援護しようとするのか。
どういう場に自分を起きたがっているのか、などなど
質問というか、この掲示板の今回の最初は
やはり、けんかごしだった。
けして穏やかな質問では無かったよ。
読み返してみれば分かる。
なんか、軸足がおかしくなっているとさえ思える文調子だ。
何故か、貴方は行法寺面談のあと、スッキリした風が吹いていない。
下に書くように、感服したなら、こんな感じにはならなかっただろうと
普通はおもうよ。
第一、そんなに心に引っ掛かっている事を
あの面談で吐露しなかったのか。
吐露したとすれば、全然解決して無い事になる。
それよか、むしろもっと発酵している感じだよ。
何しろ、怒り狂っているのは
あの日の数日後だからねぇ。
燃し、本当に感服したなら
(本当に感服したなら、変化しているはずだが..)
何かで蒸し返して揺れている。
その数日の間に、何があったんだ?
あなたの心の軌跡を追うと
ほんとに、なにかおかしい。
第一、
やっぱり、自分の信心の葛藤は
掲示板で解決しようとしても無理だ。
こうして書いている私の言葉だって
たぶん、貴方には入って行かない。
心がこんがらかっている時は
言葉をきける人と、何も聞けない人がある。
行法寺の人で今一納得出来ないのであれば
この人ならと思える正信会東京教区の僧侶にでも聞きにいってみれば。
みんな混ざって助け合うために出会ったんだろうから。
それが白蓮院だというなら
これは.....なにをかいわんやだ。
離山して貫こうとする意義を同抱してない事になるから、
はじめっからやり直しだけどね。
ナニカ、トミさんが大きくなっちゃってる感じがする。
多分、悩んでいるのは、自分の心の置き場所でしょう?
そこが落ち着かなければ、良い光は出ないよ。
今出ている怒りは、何かのスリ代わりのような気がするよ。
あなたは絵を描くひとなのだから
何十枚もかきなぐってみたら?
きっと、自分で涙が出てくるようなモノが現われてくるはず。
それから、住職の言葉を読み直してみて
ゆっくり質問するべき事を整えたら。
もう一回会って見たければ会ってもいいし、...。
デも、そう言う作業って
掲示板では不向きだよ。
公開質問状では
個人が求めているポイントには
答は帰って来ない。
G3がしている心配さえも
貴方には届かないじゃ無いか。
>とことん話をしなければ納得しないところまで来ているんでしょう。
>どんな形で話しあいをしなければならないか。それを考えています。
忙しいけど
貴方だけの為に、充分な時間とスペシャルな場をつくろうと
なやんでいるんだ。
ありがたくないかなぁ....。
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この掲示板について 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 26日(水) 09時38分09秒
私はこの掲示板を作っただけでして、「管理人」と呼ばれるにはお恥ずかしい限り。
通常の掲示板みたいに、主にHPの製作者が返答するのではなく、みんなで共有したいなと
考えております。
この掲示板のあり方にかんしては、ちゃんとした定義付けをしたくありません。
ルールを決めるのは、集まっている人が知らない人ばかりのときで、信頼する仲間同志(身内)
だけであれば、お互いを尊重し、思いやれば、ルールは不必要。そんな所にルールを設けると
なーんか嫌でしょ?こうなりゃ意地でもルールは作りませんよ。
一時的にこの場所の雰囲気が壊れても、すぐに自浄すると思っています。
ただ、数日間書き込めないときはあります。いないときは当り前ですが、
いても書き込めないときはあります。私の場合、数日PCすら立ち上げない時があります。
それは、悩んでいる時。もしくは精神的に弱っている時。
悩むのは、ご信者の専売特許ではありません。
で、復活するでしょ?(自分の悩み解消の方法は言いたくありません)
そうすると、「カキコがどっさり」なーんて時もあるのです。
それらを統一するレスを書くわけですが、漏れていることもあるかもしれません。
ちなみに、ゴジラさんとは結婚式の日に朝の5時近くまで飲んで、意思統一できたかな?と
思っています。<先日はお世話になりました!ゴジラさん。仕事大丈夫だった?
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そうそう 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 26日(水) 10時25分57秒
私は発言の途中に、思考だけが次々と先行し、結局言いたかったことを忘れる癖があります。
これは皆さんご存知ですよね。。。
ちなみに大聖人も、同じ理由で論旨がずれるクセがあります。
>コジョー君
そうでしたね。北部九州としては聖人展をやらなかった。私は製作員として構想段階から
お手伝いしていましたので、かなり思い入れが強いです。個々の展覧会ではなく、全体を考えてました。
北部九州がやらなかった理由は、聞くところによると、一つではありませんが、私はそれなりに
「あー、立場が違うと自分でもやらないかも知れない」と正直に思いました。しかし、非公式には
ご尽力下さいましたよ。何が言いたいのかというと、正信会は組織としては未熟ですが、
冷たいルールだけでまとまっているのではないと言う事です。心はつながっています。
浜中和道師がうちの住職と同期で、仲がいいことは知っていますよね?しょっちゅう電話来ます。
北九州も田川も佐賀も。日田は私の大先輩です。本当は田川も。
察しているとおり、それぞれ強烈な個性があります。個々のお寺全体で考えても、教区で考えても
やっぱ個性があります。そのもと、北部九州では出来なかったのでしょうか?
ただし、その他の教区のことは詳しく知りませんが。
全体としては、結束力はあると思いますよ。組織としては未熟(だとおもう)ですが、
正信会という組織の存在意義も大有りです。
考えるべきは、それが正信会という組織を守るために存在するのではなく、あくまでも
正信覚醒というところが目的だということです。ここを間違うと、混乱するかもしれません。
極端な話(あくまでたとえ)、正信会の看板を捨てることが富士に清流を戻せるのならば
みんな潔く看板を捨てるでしょう。このように、今は良いんです。今は。
状況が状況なら問題解決もすぐです。
問題は10年後20年後、もしくは100年後200年後。
正信覚醒運動をしらない世代です。日向の門流は、大石寺への帰一に500年かかりました。
無論その途中100年くらいは大石寺は謗法の貫主だったけど。
最初は多くの人が、大石寺はすぐに誤りを認めてくるだろうと思っていたのでしょう。
しかし、思惑は少し違った。予想以上だった。
今ここで我々が潰れてしまえば富士に清流が戻るまで1000年いや、
「今個々で我々が潰れてしまえば正法は無い」くらい考えてもいいでしょう。
正法を正しく伝える、これが私たち青年の使命です。私は間違いなく、そう思います。
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I agree ! 名前:otama 登録日時:6月 26日(水) 11時45分24秒
>「今ここで我々が潰れてしまえば正法は無い」
ばあさんだけど、とんでもない信者だけど、私もそうおもってる。
ずっと前から。
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さらに長文ご注意。 名前:富野 登録日時:6月 26日(水) 15時17分13秒
> まず最初に、すくなくとも我々の中ではケンカ腰はやめてもらいたいです。
「聞く側」と「聞かれる側」の関係において、必ず「聞く側が疑念を持ち出す」と「ケ
ンカ腰はやめろ」というお返事。
ケンカ腰という「軽蔑の念」を悲しくてしかたありません。
普通、僧侶という立場ならば、法を説くわけですから、ケンカ腰の人も出てくるでしょ
うし、疑いをかけられる事もあるわけですから「それをやめて下さい」と最初に断りを
持ち、相手の質問を遮るようないいかたは卑怯となります。
ましてや長年の付き合いのある信者が当会について疑念をもったから「質問をしている
だけ」なのに、まるで「貴方達はケンカ腰ですね」と見下した態度はよろしくありませ
ん。
私でも軽蔑されているように感じてしまいます。外部の人間であったらさらにどうでしょ
うか。
> 道郷論争の初見は大石寺の日精上人からです。明確に時代が特定できる文書は。
日亨上人も宗学要集で述べるように、日精上人の記述には怪しむべきところ多く、家中
抄などは間違いが多いとありますね。
よって、大事な要点は「道郷論争の存在」ではなく、当時の管長が誰であったかです。
重要なところは、同時代に本尊書写可能な僧侶が「複数」存在する事が、道理の上から
正しい判断か否かなのではないでしょうか。
現正信会は「複数あった」「一人のものではない」という論調になっているわけですか
ら、自分達が昭和の時代から説明してきた事に対して明確な是正を公言し、論理的説明
をするのが義務だとは思われませんでしょうか。
日蓮正宗内でも「道郷論争」は無かったという結論です。しかし、「血脈複数論」は否
定するはずです。ならば大聖人様は五老僧全てに本尊書写を許されなかった理由はいか
がでしょうか。少なくとも、御在世当時は明確な謗法の輩には育っていないはずです。
日興上人はなぜ、日目上人を大石寺の別当、御座主と「日興跡条条事」に記したのか・
・・。
古文書解明であっても、道理に反するならそれは用いるべきではないでしょう。
本因妙抄において
「文の生起を閣(さし)おき、一向に心理の勝劣に入れて正意を成ず可し」
つまり、文をそのまま読むのではなく、説かれている法門を道理の上での勝劣に照ら
し、正意を成じなさいと言われている、大切な忠告があったと記憶しております。
大聖人様ですら、古文書の解明や研究などしてはおりませんでしょう。
大聖人様も仏教の年数などについては多少の間違いはあるとしても「それで大聖人様の
仏法が廃れる事は微塵もない」と思います。
ですから、相伝書の真偽を第一義とするのは間違いではありませんか?
これは学者の見であって、法眼で見ようとしない思惑・見惑の落とし穴となりましょう。
> ・血脈(の次第)
> 「正しい法を間違いなく受け継いだ」ということです。ただそれが一人とは限り
> ません。
つまりここなんですよ。
では誰なのか。「外用と内証」を明らかにするべきではありませんか。
天台、伝教においてもこの「外用と内証」はあり、当然問題なのは後者ですよね。しか
し、相伝による事が大事とされている以上、無師独悟という事はありえず、外用も用い
られた上での正邪が必要であって、「正しいA」と言う人が「Bに授与す」と、B自
ら「もらった」というのでは、まったく扱いが違いませんでしょうか。
> ただそれが一人とは限りません。
それは本尊書写をする人が複数いても良いのか、たんに純粋に正理を得た凡夫大衆を指
しているのか、ハッキリさせて頂かないと、議論になりません。正信会のあらゆる信者、
皆血脈があるのか、座主の血脈とは違うのかどうか…。
「一人とは限りません」ということの根は「日道上人以外にも日郷上人に血脈は与えら
れてもいい」という事でしょうか。
その血脈の正体を説明して頂きたかったのです。
本因妙抄において
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主相伝の書、塔中相承の稟承、唯授一人の血
脈なり」
であって、日目上人をもって「一閻浮提の御座主」とされ、後の貫首はその代役のはず
です。しかし、日目上人からその後、如何に血脈が外用相承されたかを説明していただ
けないわけです。
内証相承に限って言えば、郷師にもあったかもしれないが、それが即、「今の大石寺に
伝わる血脈はそれはそれでいいが、現在の身延系にもあったのだ」という議論がいった
い何を生むのか。結論がない、最終的主張が論じられていない非常にあいまいな文章と
受け止めてしまうわけです。
> 当の本人がそれをその時(刹那)に認識していないこともありえます。
>「本人同士である特定の時に」というよりは、「あとから考えると」とい
>う意味合いの方が強い気がします。ただし、「上代の文書から確認す
>るに」ですよ。
本人が認識していない法門の正邪とはいったいなんでしょうか。
ダライ・ラマの話ではありません。こんな話が通用する世界は道理に反した神懸りのも
のではないでしょうか。
また刹那という文字を使う場合は「瞬間の」という意味で使わないと誤解を与えません
でしょうか。
当の本人が…例えば郷師が、ある一定の時間枠の中で「血脈を認識していない」場合が
あったとして、「後代の者が勝手」に、「あの人は気がついていなかったが血脈があっ
たんだよ」と言うのは、郷師という僧侶は、法の自覚も出来なかった人だよと証明して
いるようになってしまいますし、では上代の文章の正邪、上代の内証は正理だったのか
・・・証言者の真実性を証明しなければ、「証明」にはならないのです。
これは論理的原則かと思いますが。
本人が「私は法を正しく持った」と認識するには、本人の認識中枢の概念ではなく、
「経文や相伝、相承や道理」という判断基準に照らさなければならないでしょう。これ
は第三者でも「判断」出来る大切なものであり、個人のみに委ねられた勝手な認識で
「正しい法」が決まるなら、身延の信心にも一理を与えてあげないと、彼らの「認識」
を否定す
る事にもなりましょう。
> そのために、富士の法門はいたるところにあらわされているのです。文書として、
> 化儀として、そして、正信を貫くご信者によって。
ここが重要な主部になります。正信会のコンセプトなのでしょうか。
いたるところとは具体的に何処か…。「いたるところ」ですから「どこもかしこも」で
あって、1ヵ所ではない。おかしくありませんか。
戒壇の大御本尊にしか正法はないと私は今も昔も信じております。
三大秘法ってなんでしょうか。
「ダイナマイトで吹っ飛ぶような板切れには大聖人の仏法はなく、我ら正信の胸にある」
と先日私に仰っておられましたが、どう考えてもそれは私にとって邪義としか受け止め
られません。
大石寺には大聖人は済まないから、正当なるこちらの僧侶が本尊を作る・・・ような久
保川論が生まれてくるのもこうした見惑思惑からではないのでしょうか。
それから首をひねるのは
「正法が無くなるか否か」という問題の解答と理由に対して「文書」「化義」「正信を
貫くご信者」と項目を上げてくださってますが、「正法」は、「文書」でもなく「化義」
でもなく、ましてや通常の信仰生活のなかで流されて正邪の検証もせず盲信にちかい
「ご信者」でもないでしょう。
末法においては一閻浮提総与の戒壇の大御本尊様の存在無くしては、我々凡夫の六道は
成仏の境涯に円融しないと学びました。
「正法」が文書や化義にあるなら、戒壇の大御本尊は必要が無いことになるし、「自己
認識を最優先で正法の存在をみる」なら、正信会信徒は悩みや愚痴が減っていいはずな
のに批判がでてくる現況はどうしてなのでしょうか・・・。
> ただし、現在に伝わる血脈相承の儀式はいらないとも思いません。それはそれで
> 大切に残さなければなりません。なぜなら、それがこの法を正しく残すために考
> え出された先人たちの智慧だからです。
これは正信会の正式判断ですか?
先人たちとは誰を指すのでしょうか。大聖人様も含むということでしょうか。
血脈相承の儀式が法を正しく残すための知恵(智慧は仏の所作に使うべし)のためとい
うことですが、それにしては?
別に仏法に限らず、西欧文明でも「儀式」は用いられていたし、学校や会社でも「儀式」
という行為はありましょう。
大聖人様の仏法の相承とはそんな世俗の形式的継承論ではないはずですが。
このご判断こそ一大事と思うから騒いでいるのです自分は。ここだけの話。
ましてや、大聖人様ですら「相伝」「金口嫡々」と相承を重視されてきたものが、「考
え出された先人たちの智慧」となってしまってはまずい。絶対にまずい。
> 大ご本尊に対しても同じことが言えると思います。そこに流れる法門や精神が大
> 切なのであり、物質はいつか滅します。かといっていらないということでもなく、
> それを大事に考えお守りする精神が大切なのでは無いでしょうか?
結局、御本尊様は見えない法として存在するという有論ですか?
ならば大聖人様がなぜ御本尊を書写されたのでしょうか。
「経文という文書」や「相伝という文書」「私は正信だという信者の胸中」に存在する
なら、「御本尊さまどただの物質だから絶対的には必要ではない」となってしまう…。
実際悩みますよ、このお話は。
> 大ご本尊に対しても同じことが言えると思います。そこに流れる法門や精神が大
法門は精神ではありますまい!
分別虚妄、善悪無記、無作の自然(じねん)法がなんで「精神」なのか。
誰のどんな精神なのでしょうか。
例えば、正信会初代議長久保川氏は昭和52年は「正師」だった・・・として、彼は
「正法を具足」していたのですか。少なくとも、宗門、学会は謗法で、わたくしたちの
正信覚醒活動家僧侶に正理があると「認識」していたはずでしょう。
それが今では正信会とも仲たがいして縁を切った勝手本尊著者ですよ。
こちらの精神と御本尊様をいっしょにしては笑われます。
> 切なのであり、物質はいつか滅します。かといっていらないということでもなく、
仰っている意味がわかりません。
御僧侶なら「不断不常」という説明があるべきでしょう。
見惑・思惑。
「我空法有」に近い論に堕ちてます。
つまり物質は出来たり生滅したりするから、紙や楠板の本尊もなくなる。でもいらない
わけじゃない・・・。ならば創価学会がまったく同じものを完全コピーしても、こちら
が大聖人様と有り難く拝し、お守りしていけばいいことになりませんか?
作った方の精神が悪くても、板の本尊に書かれた文字は十界曼荼羅であり、邪師の名前
が付け足してあるわけでは無い。
尊行するこちらの精神に仏法が存在するのだという論なら、これも論証しなくてはおさ
まらないと考えるものです。
「大石寺の戒壇の大御本尊という物質はいつか滅します。かといっていらないというこ
とでもなく、」という義意であるとすると、それは日蓮正宗の義ではなくなってしまい
ます。不遜きわまりなく。
日興上人様が身延に置いてこなかった理由はなんでしょうか。
「一閻浮提総与の」とはなんでしょうか。
どうでもいいことになりはすますまいか。
「こちらの精神が大切で、戒壇の大御本尊はあってもなくても究極はいいんだ」
ということなら、真面目に命がけでお守りする事は必要なくなることになります。
自分にとっては天地驚愕の話となります。恐るべし恐るべし、と受け止めます。
> ・郷師について
> 間違いなく、名実ともに敬うべき富士門の正師でしょう。保田門流が後代間違っ
> た方向に行ったからといって始めからすべて間違っているということにはなりま
> せん。その末寺の定善寺。正宗に帰一する前の最後の弟子三人はみんな正信会で
> す。で、総本山の大石寺。今の姿はどうでしょう。
これはまったくそのとおりです。
日道上人は郷師に対して労を労い、日興上人直筆の御本尊を授与しています。
これは日興上人が元亨四年に日目上人に書写・授与されたもので、日道上人はそれに自
分の加筆を加えた上で郷師に授与された。これはたしか保田の妙本寺に所蔵されていま
す。
この事は、郷師が日道上人を貫首と認証したから受取ったのでしょうかね?
もし、郷師が外用、内証供に自分に血脈相承があると認識していれば、日道上人の行為
は
問題になったはずですよね。
私のような虫けらが宗門史を裁定していくことは赤顔のいたりとなりますので、私が学
んだ、しっておるだけの結論だけ書いておわることにします。ここを読んでおられる方
々にもご自身の教学の参考になればとの思いで。
間違いがありましたらぜひ訂正していただければ救われますが・・・。
▼日道上人時代から大石寺は諸問題を抱えていた。。当初の日郷師が正師であった事も
まず疑わう史実は見られない。だが、東坊地問題で、水面下で双方に反目があった形跡
はある。しかしそれは「血脈問題」ではない。
東坊地問題の詳しくはおきますが、南条家の相続問題が大石寺の土地の所領にまで及ん
だ。
保田妙本寺は日郷師が亡くなってすぐ、その門下は大石寺と反目しあっていた。
富士小泉に日郷師の小泉道場があり、妙本寺の日伝はここを拠点に大石寺と争った。
応永十〜十二年の間、二枚の文書において当時の地頭が大石寺東西両坊地を改めて大石
時に寄進する形になったとされ、約70年間の紛争に一端の終止符が打たれた。
それから有師の頃には妙本寺にも日要、日我という立派な僧侶が輩出されたと日亨上人
は書かれておいでです。
しかし明治時代には他の富士門流七山は大石寺に帰一したが、結局は太平洋戦争中に身
延系列と合同してしまった。
戦後もっとも早く大石寺に帰一したのは妙蓮寺。
その後も讃岐本門寺なども戻り、保田妙本寺も帰一する。
> また、長年要法寺の思想が蔓延った大石寺よりも、かえって当時の信仰の面影で
> も正しく伝えている可能性があります。化儀として。
これはまず大石寺法門を取り戻す徹底的な研究が必要なのに、要法寺思想がどこからど
こまでかを論証せず、安易に身延合同した旧本門宗を頼るのはいかがなものでしょうか。
ましてや、クルクル猫の目のように変わる歴史の変遷を見れば明かで、「当時」と言う
からには、まず大石寺の当時を相手取り、現在の大石時を糾す事が役目なんじゃないの
かと思うのですよ。
重ねて、大石寺が長年謗法だと言ってきた事に対する論証や反駁がなければ「謗法では
ない」という根拠が不明瞭となります。明快なる論理が必要でありませんか。
> 間違いなく、名実ともに敬うべき富士門の正師でしょう。保田門流が後代間違っ
> た方向に行ったからといって始めからすべて間違っているということにはなりま
> せん。
ではその他の富士門流七寺はどうなのですか。
後代間違えれば、現在は「謗法」であって、呵責せず仲良くなってどうしますか。
根底の思想が違うのにそれを隠すなら、二枚舌とか南風と呼ばれてしまいます、敵に。
> それだけ総本山は、さまざまな障害を受けやすいのでしょうね。
違いませんか、正宗信徒と言えど、間違いを冒しやすい歴史の教訓がある。過去の人々
を悪く言うのは簡単だが、自分達は間違っていないのか? 怪しいと思わないのが自画
自賛しかしないと批判されておるのです。
総本山が被害を受けやすいなどと唯物論者のような偏りですが、「仏法を正しく修める
こと」が難しいのではないでしょうか。
我も人。反省なき人に、進歩はないと思いますがどうでしょうか。
> どんな事だって、立場の相違により言える事と言えない事があります。言えない
> 事も時が来れば言えることだってあります。。。なんでもそうか。
この混乱した時期に、御僧侶が本意を言わず、信者のご機嫌を伺って本意を言わないと
いうのは不誠実です。
立場って誰が誰に対する立場でしょうか。
上司の顔色を見ているのか信者の顔色を見ているのか…うっかりすれば人が死んでしま
うのが信仰というものでしょう。どうぞ正直にと、お願いいたしたいのです。
警察官が身内の犯罪を隠す・・・事はありましょう。
これは「立場」を「公務員」「警察官」「聖職(正確ではないが…)」を下に見て、
「家族」を上にするという心情では理はあります。
しかしながら、不良同志なら許されても、警察官という立場では不味いです。
では御僧侶という立場ではどうでしょうか。
「言えません」「話せません」「あなたと立場が違います」という事が通るのですか?
自分は御僧侶に不誠実であってほしくないのです。
俗世間に限っても誠実不誠実は存在するのに、なんという傲慢でしょうか。
> これは私がバカだったせいもあるのですが、あるご信者は「信」が無くて勉強したせ
いで浄土宗に行きました。
これは御身の責任じゃないでしょう。
五老僧の間違いは大聖人様のせいですか?
結局、「信者は勉強しても間違う」という刷り込みがありませんでしょうか。
その理由が「信がないから」となるのでしょうか。
正信会の信徒には「信」がないと仰っているわけではないのでしょう?
「自分は信がある」と自己認識すれば「正しい仏法」だという論調であったはずですが。
> やるんならしっかり。努力せずに結果だけ求めるような勉強なら、しないほうが
> ましですね。
だからお尋ねしているのでしょう。それをケンカ腰と云われてはあまりです。
軽蔑されておると受け止めました。
なんでも聞いてくれ、なんでも答えるよ」という御僧侶はいないのですかね?
> ・白蓮院のこと
> 正信会が無慈悲であるとのご意見でしょうが、いろいろな道を模索してきました。
その「いろいろな道を模索」の内容が知りたいのですよ、あっしは。
説明もないまま結論はちょっとお待ち頂きたいのです。
「帰山」は正信会の目的だったのでは? 如何なる理由で帰山なのかを明示しなければ
信者はわかりませんよ。
少なくとも白蓮院の古谷御尊師だけではなく、信徒も同意見なのですから、東京教区の
他
の御僧侶だけが、「自分達は正義を貫いたがわかってもらえなかった」では通用しない
でしません。絶対に通用いたしません。
> ・聖人展云々
> 「まだ言うか」って感じですが。大聖人のイメージが大きく曲げられている現在、
大聖人様のイメージを大きく曲げたって・・・誰がですか??
世間の人に「日蓮」と言って「創価学会」とか「日蓮正宗の阿部さん」という人はまず
いないですよ。街頭インタヴューでもしてみればいいんです。
むしろ土光さんや高山樗牛を紹介して何になるのか?
それが日蓮大聖人様の教えを正しく世間に知らしめたイメージ戦略だというなら、まさ
にそれが謗法でしょう。
末法の凡夫唯一の救済である「本仏」を隠し、「聖僧日蓮」と言いたいなら、もう最低
でしょう。
それなら正信会は日蓮正宗を相手取って裁判を起こしたが、学会共々、世間を騒がせて
イメージを落とした事にはならないのですか?
正信会の運動はあらゆる方法を用いても日蓮大聖人のイメージを良くする事なのですか?
その展覧会には大勢の信徒がボランティアをしている。
その人達は「イメージアップの傭兵」ではなかったはずですが。
厳しく云わせていただければ、御僧侶の満足の為に正信覚醒があるのかと問いなおした
いほどであります。
邪宗を罵ってきた自分たちのの歴史に傷をつける事になると強く思うわけです。
> みんな知っている4部のみんなが実は根本は大聖人から影響されたのだというこ
> とです。
大聖人様を介しても正当なる信仰にはつけなかったのですそのお人たちは。
> その記述がNGだというのなら、それほどつまらないことはありません。歴史上
> の偉人は99%富士門ではなく、しかし誰でも伝記などを読んで、感動し、見習
> うことはあるでしょう?
これは俗諦化と申しませんか。
99%が富士門でないならば、自分は真似をすべきではなく、石を投げられても正法を
流布するのみ…ではなかったのでしょうか?
1%の尊厳はどこにありましょうや。
伝記など読んでも真諦はつかめません。
映画や歴史の感動は「六道の人界、天界の感動」であり、「大聖人様の御智慧に対する
成仏の境涯」とは明確に違うと思います。
二乗にも到達しない「歴史上の人物傳」と仏法を混ぜては、まったくもって宗開両祖の
仏法に泥を投げつけるようなものになりましょう。
歴史上には、自分の指や耳を切り落として、凡夫を救おうとした邪宗の僧侶もいます。
その基準から言えば、世間では大聖人様よりそっちの法師の方がドラマティックではあ
りましょう。そういう論法に堕ちてしまいませんか。
> これは明らかにおかしいですよ。だってそのとき土光さんの仏壇なんか見たこと
> 無いはずですから。ものどころか、おおまかな内容を知る前から降りてたのでし
> ょう?運営体制を見て。
あの状況のなかで私がなにを発言できましょう。
自分の沸いてくる疑問や考えが、あの時点で正しいとは情けないながら判断できかねた
のです。だから安直に「ちょっとまった、おかしいですよ」とは言えなかった・・・。
信じ切ることにだけ精力を向けておりましたゆえ。
その後、題目をばんばん唱えながらいろいろ勉強を重ねに重ねて、やっと勇気を賜った
次第です。おかしいことはおかしいとはっきり言える姿勢を持つことが大切だと。
土光仏壇についてはあの時点で見てはおりませんでしたが、長より受け取った各種の計
画書や資料からおおむねわかってはいましたし、またそのことだけを云っているわけで
はありません。さまざまな角度から拝見していて、なにかおかしいなぁ、と思ったわけ
ですから。
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以上、非常に長文がつづきまして、楽しいやりとりを望んでいる皆様にはたいへん不愉
快な思いをさせてしまいましたが、申し訳ありません。偉そうに申せば、阿修羅のごと
き憤怒の形相であっても、荒々しい不動のような形相であっても、それがたちまち害を
なすものであるとは限らず、そうして菩薩行をとることもあるという、ま、小咄くらい
に受け取っていただきましょう。
私たちが身をおくすべてが道場と仏様は仰っております。
いつだかの法要で鳳済さんが「うるさい信者を大切にしたい、その者によって若き僧侶
は育つのだから」といった意味のお話をしてくださいました。
だいぶ疲れました。仕事の合間でのメッセージなので。
最後におたまさんに一言。
先日遊びにいったときには「どんどんうるさいことを云っていこう!」といっていたの
ではないですか?これが私の体を張った「うるさいこと」です。
おたまさんはなにも発言しないのですか。かばってどうするのですか。
こういう機会に、前進するために、ご自分でもいろいろ論議の議題を提出するべきでは
ありませんか。
論議内容はどこかにすっ飛ばして、おかしいおかしいと人を馬鹿にするようなレスやら
感情的な抽象論で混ぜ返すのはS学会の婦人部長ではなかったのでしょうか。
「おおきくなった」とはどういう意味ですか?
私も信心歴だけは43年にならんとしております。その間、解説不可能なほどの体験や
修行を積ませていただきました。どん底のどん底の、ああ、ここが八大地獄なのか、と
いう経験もさせていただき、そのこから虫のように這い上がってきました。
御本尊様にたいする報恩感謝の念はそれなりに持ち合わせております。
行法寺にたいする知恩も少しも忘れてはおりません。
その上でいろいろ申し上げている次第です。
このままではいけません。
もっともっと命がけの信仰を心がけなくては、僧俗ともに。
七百五十年慶讃の年。
形だけ祝ったところでどうなりますか。
皆さん、もう少し勉強しましょう。情けないですな、タグ師匠としましては。
まあ、ちっともまともなお返事がいただけないので、憤怒の相はしまって色っぽい弁天
さんの相に戻りましょうかね。ばかばかしくなってしもた。
以上。
▼自訓
一、出家と在家の「分」をあくまでわきまえることを忘れず。
一、意見をもつ在家を恐れる出家でなきよう。
一、在家は徹底した「信」を貫き、けして裏切らない。
一、出家もそうした在家の魂を信じぬく。
一、在家は「寸尺高下註記すること能わず」も忘れず。
一、たとえ尊敬する出家であっても疑問とすることはひとりで
悶々と考えずにどんどん意見を述べていく姿勢
一、誰もが本来の目的、進むべき道を刹那も忘れることなく。
一、それぞれの個性に応じて、山のあらゆる角度から頂上を目指す。
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お答えです。 名前:OTAMA 登録日時:6月 26日(水) 19時35分32秒
>「どんどんうるさいことを云っていこう!」
その通り、私程煩い事を言う人は行法寺にはいないと思います。
○ただ、憤怒の相で言わないようにしています。
それでも、役員会では「けんかごし」と言われつづけてきました。
あなただって、こないだの書き込みで、私の言い方に問題がアルと指摘したじゃアないですか。
自分の言葉の具合が、心ならずもきついのは知っていますが、
だからよけい憤怒の相では言いません。
○それと、私は直接言うようにしています。
誰とはなしに感情をぶつけたのは、この間の訳の分からん独り言が初めてです。
それはちょっとムカット来ただけの話で、答はいらない性質のものだったから。
なんとなく、分ってもらいたかっただけで、分からなくてもかまわないものでした。
それがどうあろうと
私はやるだけですから。
本当に意見を言う時は
住職一人に直にくって掛かるか(トミさんも現場を見てるじゃ無いですか。とめに入ったりして)
手紙を出します。
そして、赤誠から言っているのだ、分って欲しいと言う謙虚な気持ちがいつも、有ります。
教えを請う時は、それなりの形を踏んでいます。>私なりにですけれど。
だから住職も、私の心得違いが有れば、その場で諭してくれますし
ああいう方ですから、思いっきりケチョンケチョンに言われる時も有りますが、
それでも私が決してめげない事を知っていますから
正当な事を言った時は、ちゃんと時間をおいて聞き入れてくれます。
ここで喚いても、決して練言した事にはなりませんよ。
体を張ると言う事は
面と向かう事です。
そして、最悪の不理解に至ろうとも、決して諦めないで
一時、引く事もしることです。
引いて待てば、どちらが間違っていたか、時間が知らせてくれます。
その場で決着する必要は無い。
一生懸命言ってみて、もし自分が正しければ、かならずそうなると、信じる事です。
自分が間違っていれば、必ずこれも気が付く事になります。
時間はかかりますがね。
信じるとは、そう言う事です。
法華の世界とは、かならず道理の通る所ですから。
右も左も蹴っ飛ばせ的な姿勢は、慈悲の姿勢とは言えないのでは?
○私が誰をかばったと言うのですか?
かばってなんかいませんよ。
通じないものを、なんとか通じさせようとしただけです。
G3さんの姿勢がまだるっこしいなら、本人ととことん話し合うべきです。
私はちゃんと話し合ってますよ。
聴いて御覧なさい。黙って高みの見物はしてません。
正当な情熱と、敬意をもって話し合えば、お互い分かりあえるものです。
「信頼される」そこまで自分のなかみを見つめてゆかなくては。
>ナニカ、トミさんが大きくなっちゃってる感じがする。
殊更にどう言う事かとお尋ねならいいます。
まるで修羅のように大きくなってます。
それでは話し合いにも、改革の意見具申にも聴こえません。
暴れてる感じです。
悩んでるのは分かりますが、謙虚で無い。
謙虚と卑屈と言う事とは違いますよ。
怒りをぶつけてるだけだ。
感情論的な..といつも私の言葉をそう捉えられているのは分っています。
女をバカにしてるでしょう?根底的に。それはいいです。しょうがない。
男は大体そうです。
しかし、人間、感情が大切なのです。
その感情故に、聞こえるものも聞こえず、見えるものも見えなくなる。
心の奥底から突き上げてくる感情こそ、無明であり、仏なのです。
理論じゃ無いです。
それを無視しては、南無〜経の突き上げて覆ってく感動等
分かりたく無いと言っているに等しい。
多分、私の言っている事は、聞こえない。
そうでしょう?
無駄な感情論だと...。
言葉は感情に乗って伝わります。
怒りは誰も受け入れたく無い。
そのあなたの怒りの来る所の原点は、道郷ろんでも、白蓮院の事でも無い。
ちがうものでしょう。
青い鳥も、活火山も、自分の中に有ります。
行法寺面談から後に、なにがあったのです?
寺面談そのものが気にくわなかったのですか?
自分の内面の成長や脱皮は
WEBのTEXTで成し遂げようとしても無理が有る。
あなたが自分の変革の事では無く
正信会の変革だけをしたいのだと言うのなら、、それはむりでしょう。
だれも、自分の気の済むようには動かない。
環境も、自分も、不ニです。
お互いに変化して、相応しい所に、自分が有るのです。
とにかく、見える所だけで他人は行動しているわけでは無い。
ここにかか無くても、KOJO-クンには手紙をだしました。
他の連絡も、ここばかりでやっているわけでは有りません。
あなたの見えない所で、人は動いているのです。
WEB 上で見えないから、何もしていないと言うのは
ちょっと、WEB中毒。
それに、
WEBに書く事が苦手な人だっています。
体を張ると言う事は
WEBに張り付いて怒りをぶつけて、公場対決のような事をする事では無く
もっと、違った面と向かい方ですよ。
対面に相手の目を据えて、心を開いて語り合う。
面と向かって言うと言うことは、しんどい事です。
分かる用に説明すると言う事も、しんどい事です。
けれど、それが大事な事だと思います。
--------------------------------------------------------------------------
感想と意見 名前:コジョー 登録日時:6月 26日(水) 22時02分05秒
んー、素朴な感想。
>富野さんへ
長いですね。失礼かとは思いますが。僕としては、質問することはいいことだと思います。学校の勉強だってそう、わからないところは先生に聞く。で理解する。でまた疑問が出る。でまた質問する、とまあいつまでたっても終わらないのですけれどね。
そこで、ひとつ提案させてください。「質問は一回ひとつ」。たくさんの質問を一度に聞かれても先生は答えられません。まずひとつ。それがわかったらその次。そうして順番にやっていく。僕はそれが一番効率的だと思います。何にも知らない小童の意見も聞いてあげてください。
それと意見を少し。
>戒壇の大御本尊にしか正法はないと私は今も昔も信じております。
>「ダイナマイトで吹っ飛ぶような板切れには大聖人の仏法はなく、我ら正信の胸にある」
>と先日私に仰っておられましたが、どう考えてもそれは私にとって邪義としか受け止め
>られません。
僕としては、「正法」がここではどのようなものとして扱われているのかわかりませんが、それが大聖人の仏法だとしたら、僕は心の中にあると思います。実家で勤行していて思ったんですが、どうしてご本尊様って、こんなに普通の紙と違う感じがするのだろう、と。そこで思ったんです。ああ、それはご本尊様に何かが宿っているからなんだろう、と。で、今思いますに、信仰心が、自分の心の中にあり、そして、あるがゆえにご本尊様にも、その、なんと言うか、その何かが宿っているのだろう、と。つまり、信心があるからこそ「ご本尊様」なのであって、信心が無ければただの「紙切れ」(ひどい言い方ですが)どうぜんなのではないかと。実際、本宗の方でなくて、たとえばアフリカのマオリ族の方とかにとっては(ちょっと例が遠すぎたか)、おそらく「紙」でしょう。そのように思ったしだいです。
>ダイナマイトで吹っ飛ぶような板切れ
でもちょっとこれは言いすぎかな。しかし、これが言いたいことではないことはわかっていらっしゃると思います。
小童でした。
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感想と意見 名前:コジョー 登録日時:6月 26日(水) 22時02分05秒
んー、素朴な感想。
>富野さんへ
長いですね。失礼かとは思いますが。僕としては、質問することはいいことだと思います。学校の勉強だってそう、わからないところは先生に聞く。で理解する。でまた疑問が出る。でまた質問する、とまあいつまでたっても終わらないのですけれどね。
そこで、ひとつ提案させてください。「質問は一回ひとつ」。たくさんの質問を一度に聞かれても先生は答えられません。まずひとつ。それがわかったらその次。そうして順番にやっていく。僕はそれが一番効率的だと思います。何にも知らない小童の意見も聞いてあげてください。
それと意見を少し。
>戒壇の大御本尊にしか正法はないと私は今も昔も信じております。
>「ダイナマイトで吹っ飛ぶような板切れには大聖人の仏法はなく、我ら正信の胸にある」
>と先日私に仰っておられましたが、どう考えてもそれは私にとって邪義としか受け止め
>られません。
僕としては、「正法」がここではどのようなものとして扱われているのかわかりませんが、それが大聖人の仏法だとしたら、僕は心の中にあると思います。実家で勤行していて思ったんですが、どうしてご本尊様って、こんなに普通の紙と違う感じがするのだろう、と。そこで思ったんです。ああ、それはご本尊様に何かが宿っているからなんだろう、と。で、今思いますに、信仰心が、自分の心の中にあり、そして、あるがゆえにご本尊様にも、その、なんと言うか、その何かが宿っているのだろう、と。つまり、信心があるからこそ「ご本尊様」なのであって、信心が無ければただの「紙切れ」(ひどい言い方ですが)どうぜんなのではないかと。実際、本宗の方でなくて、たとえばアフリカのマオリ族の方とかにとっては(ちょっと例が遠すぎたか)、おそらく「紙」でしょう。そのように思ったしだいです。
>ダイナマイトで吹っ飛ぶような板切れ
でもちょっとこれは言いすぎかな。しかし、これが言いたいことではないことはわかっていらっしゃると思います。
小童でした。
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コジョーさんへお返事。 名前:タグ@富野 登録日時:6月 27日(木) 01時05分56秒
>コジョーさん
ありがと。ちょっと元気でたよ。純なお気持ちを聞いて。
またアドバイス了解。感謝。
いつもいつもこんな論調じゃないからね、オレ。嫌わんといてね。
もちろん己心の一念三千、私たちみんなのなかにこそ妙法はおわしますで
しょう。本果妙ではなく本因妙ですものね。
私も山のなかを散歩していると、ふと小さな小さな花に眼がとまって、
そこに段だら模様の光が当たっていて、ああ南無妙法蓮華経だ!なんて
感じることもしばしばありますし、池を覗いたら、あれ?大聖人様の
文字だ!みたいなこと、あるいは昔昔御本尊様(曼陀羅)が側にない
状況で、布団のなかで30分位唱題をしていたら、なんちゅーかその
胸の奥なのか腹の底なのかわからないけれども、ふわっとした・・・
たぶんあれ、仏界なんだろうね、むちゃくちゃ嬉しくて、なにもかもが
肯定できて、凄いほどの幸福感を味わったこともあります。
でも、なかなか普通一般には対象としての御本尊がない状況では、一念
三千がなんであるのか、仏がどうであるのか、認識するのは非常に困難
だと思うのです。
んで、そうした末法幼稚の首に見える形でおかけくださったのが、御本
尊様かと思うのですよ。これだよこれ!みたいな感じ。
大聖人様がわざわざ魂魄を注ぎ込んで現わしてくださったんですよ!
単なるお守りなんかではないのは周知の事実。
こういうのを御仏智のたまものというのでしょう。
それでもって、その根源てか「一閻浮提総与の戒壇の大御本尊様」という
のが大石寺に七百年ものあいだ、苦労に苦労を重ねながら、歴代の御正師
に守られて今日に至っているわけです。そんなに根本的には大切じゃない
ものであるのなら、なんでそのようにお守りしてきたのでしょうか。
正気をうしなって顛動(さかさま)した輩が、あれは日有上人の御書写と
か日法上人の彫刻したものとか、いまではその成り立ちにいろいろくだら
ない、本質から離れた外道説が飛び交っていますが、私にとっては少なく
とも「日興が身に宛て給う所の弘安二年の大御本尊」とまで云われた、大
聖人様の御感あって熱原の民衆(つまり私たち末法の衆)に賜った、大事
な大事な宝物です。われわれの信心の象徴です。
たとえ現時点で正気を失った貫主に見せ物に晒されていようとも、わたく
したちのような分の者が、やたらに捨て去って良しとするような類の物体
ではないと考えるのですよ。
日寛上人や日有上人が戒壇の御本尊様をないがしろにしてますか?
わたしは大昔ながら都合10度以上御開扉を受けて、その功徳を体感して
おります。不思議なことに正本堂に移られてからの、熱い記憶がないので
すけど。やっぱあれはおかしかったんでしょうね。詐欺にひっかかった。
でもやはり遠くて見えなかったけれども、なにかそこにある!感じるぜぇ
と観じたものです。
本来は広宣流布の時までは御開扉なぞできない性質の御本尊様だそうで、
あーもうけた、とも思ってますけど。(苦笑)
ともかくも、宝をはやく正常なところに御安置申し上げて、歴史にも多
くの御正師がお住いになっておられたあの富士大石寺に正信の御僧侶が
はやくはやくお帰り願って、そして自分たちも心の故郷として時々集う
山にしたいと思うのですよ。
私の己心の御本尊は私の家の御本尊につながり、それが行法寺の御本尊
につながり、行法寺の御本尊はお山の大御本尊につながっている。
その順番は逆次にも辿れる。
だから全部大切な己の魂。
焼かない、燃やさない、壊さない、なくさない。という信心こそ大切。
しかし五大(地・水・火・風・空)は物質ですからいずれ入れ替えも
必要でしょう。でも縁起法は残ります永遠に。
ダイナマイトで私を吹っ飛ばしたら私はなくなりますか?
なくならない、と仏はおっしゃてるんでしょう。
じゃ戒壇の大御本尊も同じです。
すべて己心の問題ですね。信心です。
難しくいえば「非有と非無」と「中」(仏)の関係でしょうか。
もし万が一失ったら、血脈の御正師に御書写願えばいいことでしょう。
だれでもいいわけではないけども。
それが大聖人様を仏と仰ぎ、開山上人を大導師と仰ぐ自分たちの信仰で
はないのでしょうか。それが富士門流だと考えてるわけです。
戒壇の御本尊を富士門流からとったらどうなります?
本尊がなくて悔しがってる身延と同じじゃないですか。
心のなかに仏があるったって、それがなかなか感じられないから見える
形で外用として御図現遊ばされたのだと、私は思ってます。
それが信心というものではないでしょうか。
なにもいらなければ禅宗でことたりましょう。
あまりに科学的な見地からばかりで御仏智を推し量ることは外道義につ
ながると思うわけです。
また長くなっちゃった。御免。
---------------------------------------------------------------------------
何かおかしい 名前:G3KODAKA 登録日時:6月 27日(木) 03時00分06秒
>コジョーくん
ようこそ。いきなりこんな話題でびっくりするところもあると思いますが、しっかりと見てください。そして自分の正直な気持ちを書き込んでください。これが現実なんです。そしてもっともっと勉強をしてください。そして正信を受け継いでいってください。
>富野さん
ひじょうに長い文ですね。おそらく以前から発表したかったのではないですか。13日にお邪魔したときに、パソコンのなかにさまざまなデータがあり、勉強をしているなぁと思いました。しかし、富野さんの下の書き込みをみると、その勉強が自身の信仰の深化にはまったくなっていない。そればかりか、何か得体の知れない渦のなかに入ってしまっているような感じがします。
にゃっはりさんの発言を引用する形で、自身の意見を述べていますが、その要旨は、
****************************************
戒壇の大御本尊にしか正法はないと私は今も昔も信じております。
三大秘法ってなんでしょうか。
「ダイナマイトで吹っ飛ぶような板切れには大聖人の仏法はなく、我ら正信の胸にある」と先日私に仰っておられましたが、どう考えてもそれは私にとって邪義としか受け止められません。
大石寺には大聖人は済まないから、正当なるこちらの僧侶が本尊を作る・・・ような久保川論が生まれてくるのもこうした見惑思惑からではないのでしょうか。
それから首をひねるのは「正法が無くなるか否か」という問題の解答と理由に対して「文書」「化義」「正信を貫くご信者」と項目を上げてくださってますが、「正法」は、「文書」でもなく「化義」でもなく、ましてや通常の信仰生活のなかで流されて正邪の検証もせず盲信にちかい「ご信者」でもないでしょう。
末法においては一閻浮提総与の戒壇の大御本尊様の存在無くしては、我々凡夫の六道は成仏の境涯に円融しないと学びました。
「正法」が文書や化義にあるなら、戒壇の大御本尊は必要が無いことになるし、「自己認識を最優先で正法の存在をみる」なら、正信会信徒は悩みや愚痴が減っていいはずなのに批判がでてくる現況はどうしてなのでしょうか・・・。
***************************************
という部分であると私は思います。
以下、私の考えとして述べます。
戒壇本尊の捉え方については、住職が、二十数年間、ことあるごとに話をされてきたと思います。「当門流の信仰は『の』の法門なんだ。三大秘宝というから、『本門の本尊』『本門の戒壇』『本門の題目』とが隔別ではない。相即されているんだよ。戒壇の大御本尊も、妙法蓮華経を受持す私たちの信仰心に相即されているのだよ」と。
戒壇の大御本尊とは、我々と隔離されたところにあるものではない。我等の信仰心のなかに、建立されるものだということをよく考えてください。
創価学会では、「事の一念三千」と「理の一念三千」を説明するときに、「理」とは設計図・理想図であり、「事」とは現実に眼の前に現れた物のこととして説明します。つまり、自分自身の眼のなかに入ってこないものは「事の一念三千」ではないというとらえ方です。だから現実に眼で見えないものは本尊ではない、納得がいかない。
「眼に見えなければ本尊じゃない」という創価学会の、御本尊に対する捉え方を象徴するような例があります。当宗の古刹寺院にはお御影様が安置されていますが、創価学会は「あの人形はなんだ。御本尊様が見えないじゃないか。どかしてくれ。御本尊が見えなければ功徳がないじゃないか」と宗門に圧力をかけたことがあります。眼に見えなければ信じないという考え方の象徴的な例です。
阿部宗門もこの考え方にまるっきり染まってしまいました。
こんなことがありました。私は日達上人最後の弟子になるのですが、達師在世中、御開扉の折り、いちばん下っ端の私などが座るところからは御本尊様が見えません。でも達師は、見えなくてもいいそこに座ることが大切なんだということを言われていました。
しかし阿部師は、このような達師の考え方を否定しました。「見えなくてどうする。見えなければ功徳がないじゃないか」ということを盛んに私たち小僧たちに言い、御本尊様が見える場所に移動して、御開扉を受けさせたのです。
その考え方は、いまの宗門寺院の本堂の建築形式に色濃く出ています。宗門寺院の本堂には見事に柱がない。どの場所からも、御本尊が肉眼で見えるようになっています。本堂に内陣があり、奥往きがあり、薄暗く威厳ある雰囲気のあった本堂が、スポットライトを浴びたギラギラの光が輝く本堂に、作り替えられてしまっているのです。
それは本来の富士門流の御本尊を拝する姿勢ではない。
大聖人様は、あの佐渡の地で「開目抄」を顕わされました。「開目抄」とは、一切衆生に対して、信仰の眼を開きなさい。盲目の人たちよ、本来の妙法蓮華経を見つめる眼を開きなさいということを願ってのご著作だったと思います。
信仰の眼をもって御本尊を拝しているかが問われるのです。その信仰の中身、精神性こそが問われるのです。
「戒壇の大御本尊にしか正法はないと私は今も昔も信じております」
「末法においては一閻浮提総与の戒壇の大御本尊様の存在無くしては、我々凡夫の六道は成仏の境涯に円融しないと学びました」
この富野さんの発言は、自身の信仰と戒壇本尊とが「隔別」という捉え方になっていませんか。戒壇本尊のところに行かなければ正法はない、正信はないという捉え方になっていませんか。戒壇本尊を肉眼で見なければ納得しないという捉え方ではなないですか。
****
古来、当門流には丑寅勤行という化儀があります。
私の小僧時代もそうでしたが、客殿での五座の勤行が終わると、遙拝所でまた読経・唱題します。この時の形態は、ご宝蔵に向かって、つまり戒壇本尊に対しての遙拝するという意義が込められています。
日寛上人は、『六巻抄』の「当流行事抄」に、
「問う、古より今に至るまで毎朝の行事、丑寅の刻み之を勤む。其の謂われ如何。答う、丑の終わり寅の始めは即ち是れ陰陽生死の中間にして三世諸仏成道の時なり。是の故に世尊は明星出づる時豁然として大悟し、吾が祖は子丑の刻み頸を刎ねられ魂魄佐渡に到る云々。当山行事も亦復加其の若し、朝朝刹那半偈の成道を唱うるなり」
と述べられています。
仏祖三宝尊に対して、丑寅の刻に僧俗がともに一切衆生の成道を願う姿こそが、当門流において、いちばん大切な修行なのだと教えられています。
丑寅という刻。いちばん忌み嫌われたこの時間と方角に向かって、読経・唱題をつづけきたのは、どんな身分の人たちも成道を遂げる、どんな状況であっても、ともどもに成道を遂げようと祈りつづけてきた富士門流の信心姿勢があるのです。
そしてそこには戒壇本尊への遙拝という姿がある。けっしてギラギラしたスポットライトに照らされたステージに安置されるのではなく、御宝蔵の奥深くに安置され、それを遙拝してきた当門流の化儀を見るとき、先ほどから述べているように、信仰の眼をもって戒壇本尊を拝さなければならないというメッセージが込められていると思うのです。
*****
以下、明日につづく。
---------------------------------------------------------------------------
驚いた。 名前:ゴジラ 登録日時:6月 27日(木) 03時26分29秒
>にゃっはりの飼主さん
先日はまた飲み過ぎてしまいました。
翌日はなんと、9時に起きて仕事しました。
半分死んでましたけど。
不躾な質問に真摯に答えていただきありがとうございます。
Y氏なるひとのHPなのですがどこにあるのか
教えていただけませんでしょうか?
驚きその1
この文を夜の12時頃書いていましたら
なんと家の前に置いてあった車を狙ってか
不審な人物が潜んでいて、ちょうど帰宅した兄夫婦が見つけ
私共々でとりおさえました。
所持していたバックにはなんとナイフが入っていました。
ふーーーーーーー。危ないーーー。
警察を呼んで連行してもらいました。
最近の若い人は結構ナイフを持ち歩いているとは
知っていましたが、恐ろしい。
おかげで、書いていた文章が消えてしまいました。
家のかみさんがパソコンを切ってしまったのです。/(-_-)\
驚きその2
古城君なる新たな来訪者がきたんですね。
初めまして、ゴジラこと浅野と申します。
書き込むのはマメでないので、時々現われると
思っていてください。
いきなり、酔っぱらった話をきかせてしまいましたが
たまにですから。
驚きその3
>タグボートさん
なんとゆうか、すごいけんまくですね。
宗門の歴史などにつきわたしは全く暗愚なので
とても、発言などできませんでした。
また、G3さんが発言されたこともありましたので。
もっと教学をがんばらねばとおもっています。
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うわっ 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 27日(木) 10時09分07秒
長い。長すぎる。。。朝起きてこの掲示板を見た率直な感想です。管理人としては
嬉しいかぎりなのでしょうが。
一ヶ月前からするとめちゃくちゃ暇になった私ですが、それでもちょっとタンマ。
本日中にはレスを返しますよって。
>ゴジラにーさん
こっちこそありがとうございます。思えば大学時代、朝まで飲んでそれから釣りに行き
昼過ぎに帰ってきて寝る。。。なーんてことやってまして、懐かしかったです。
それにしても、泥棒。危なかったですね。お怪我や破損はありませんでしたか?
サイトは
http://isweb43.infoseek.co.jp/novel/syousin/index.htm
>コジョー君
己心にあり。その通りだと思います。「観心」。われわれの理解はそれでいいと思います。
仏界が具わるのですから。本尊と信じなければ本尊でなく、坊さんと思わないとその人は坊さんではない。
以下は参考までに。天台の書を読んでそれをそのまま「観心」とするのは、少し違うようです。
院の授業で浅井円道さんがいっていました。大聖人の観心は、凡夫にでも出来ることで、信が基本。
それ以上は、勘弁。それでも必要とあらば、調べますが。
-------------------------------------------------------------------------
その一 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 27日(木) 10時18分51秒
読んだ順に。
「コジョーさんへお返事。」
の記述の本尊観。
ザッと見たところ、あっていると思います。
本尊観に対する今までのやり取りは何だったのだろうかと思うほど。
言葉遣いや互いの性格の違いなのでしょうね。
また。
--------------------------------------------------------------------------
その二 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 27日(木) 10時28分20秒
・ケンカ腰云々
後で言おうと思ったのですが、長いので順不同に。
主観同士のいいあいですから恐らく決着を見ないでしょう。
ただ、だんだん口調がやらわかくなってきていると感じますが。
・道郷論争の有無
あくまで私の論です。「正信会で統一の見解」ではありません。
道郷論争が無かったというのは知る限り私と坂井師しかいません。お忘れなく。
-------------------------------------------------------------------------
偶然〜必然 名前:otama 登録日時:6月 27日(木) 11時59分48秒
コジョーさん
丑寅がでてきたよ!
よかったね。みてる?
こういうタイミングってすばらしいなぁ。
言わないのに通じちゃってる。
そういうわけ。
変わり目なんだ。
みんな変わり目!バンザーイ!
-------------------------------------------------------------------------
後ほど。 名前:タグボート 登録日時:6月 27日(木) 18時28分32秒
>G3さま
まことに申し訳なく、仕事モードに突入しておりますのでレスが少々
遅れますことご容赦ください。
後ほど。(長文お覚悟のほど・・・(^0_0^)
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やっぱだめ 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 27日(木) 19時10分55秒
25日は住職の誕生日。で、本日これから恒例の「お誕生会」をやることに。急きょ。
というわけで、行って来ます。帰ってきたら酔っ払っていますのでワタシハツカイモノニナリマセン。
-------------------------------------------------------------------------
お誕生日 名前:otama 登録日時:6月 27日(木) 21時51分38秒
おめでとうござんす!
一つ、できるだけ長生きを心掛けておくんな済!
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破門! 名前:タグボート 登録日時:6月 28日(金) 01時03分56秒
>otama殿
いま仕事中ですが、ちょっと聞き捨てならない言葉を思い出したので
急ぎ急ぎ返答しておきます。
>>ちょっと、WEB中毒。
だめだ、こんな中傷しちゃ。あなたのPC師匠に。失礼だ。
人にはそれぞれ仕事がある。
小生は一日中ほとんど、あちらこちらのPCに張り付いて仕事をする者。
それで女房子供を養っている。
信心活動の連絡係もやってきた。
WEBはあなたに小生が手ほどきした世界でしょ。
ちょっと歩けるようになった途端に師匠に批判ですか!
WEBはおばさんの遊び道具じゃないぞ。真面目な世界を悪くするのは
そういう方々なんだ昔から。インターネットを舐めてはいけない。
本日限りあなたは破門。
---------------------------------------------------------------------------
G3さまへお返事 1 名前:富野 登録日時:6月 28日(金) 02時44分50秒
G3kodakaさま
「PCに張り付いて」死ぬような苦悶しながらの仕事をやっと終えて、お返事をタイプ
する時間ができたので記します。書き方などではなく、内容本意でお願いします。
>戒壇の大御本尊とは、我々と隔離されたところにあるものではない。我等の信仰心の
なかに、建立されるものだということをよく考えてください。
よく考えてもわからないのですよ。道理の則って考えなければわかりません。
戒壇の御本尊が迷いの凡夫の信仰心の中に建立されたというのは変じゃないでしょうか。
六道凡夫に「戒壇の御本尊様」が建立されるものなのでしょうか。
大聖人様が生まれた瞬間にもう建立されていたのでしょうか。またその頃の末法凡夫に
は戒壇の大御本尊は建立されていたのでしょうか。
いつから私やおたまさんやゴジラさんの信仰心のなかに建立されていたのでしょう。
ならば大聖人さまは紙幅の曼荼羅も楠板の御本尊も建立する意味がまったくないという
ことになりませんでしょうかね。
どのような手続きで「仏界」が建立するのかといえば「縁起の法門」ではないのですか。
正信会発足当時の議長久保川氏に「建立」していたと仮定すると今はいかがですか?
久保川氏も戒壇の御本尊の重要性を否定して、自分で書かれていますが、彼も自分なり
に「信」じてやっているのでしょうから、血脈があるということになりますがいかがな
のでしょうか?
菅野氏がダイナマイト学説?を喋ったら久保川氏が「援護射撃をありがとうと歓迎した」
そうですが、ならば久保川氏に御本尊書写をやめさせて、正信会僧侶は正式に「戒壇の
御本尊は正信の胸中に建立されているので大石時には帰山する価値は法門的に何も無い」
と公に明言して頂ければいいのではないですか?それもしません。
大聖人様はもとより時の貫首はなぜ曼荼羅を書くのですか? 大聖人様が戒壇の御本尊
さまを建立されたのはなぜですか? 自分だけのためなら、自分の心に建立して物体化
する必要は全くないでしょう。わかりません。
大聖人様御在世当時から仏像信仰、つまり偶像崇拝は当時の信仰形態の中にあったわけ
ですが、むろん大聖人様もその弊害を指摘していた。
紙だろうと木だろうと、石造だろうと、凡夫は偶像崇拝をしてしまう事実があり、そん
なものを見せればおのず間違うもとだという事は大聖人さまなら心得ていたはずです。
それなのに、一閻浮提総与の御本尊を顕わされた意義はなんでしょうか。
己心の法門はどのように「縁起」して六道を破して仏界に転ずるのか。
末法の本尊が無くても解脱できるという己心の一念三千を解明したのは天台教学だった
はずですよね。
凡眼といわれますが、目が見えない人も、慧眼、法眼の志でこの曼荼羅に対置する時に、
その人の己心の一念三千に仏の智慧が顕れてくる。これが縁起の根幹かと思います。
何も無くていいなんてことがどこ書いてあるのでようか。
戒壇の御本尊を顕わして下さった大聖人様に「ありがたい!」と思わなければ、何が有
難い教えとなるのでしょうか?
日達上人が「見えなくてもいいそこに座ることが大切なんだ」とおおせになったのは、
こ
ちらの志の問題をご教示されているので、「存在の重要性」と「見える見えないという
距離感」は問題がまったく別ではないかと思いますが。
また日達上人の言葉「見えなくてもいい」を持って、、所詮は物質だからなくなる…だ
からこっち(信徒の信)が大切で、物としての尊体は最高ではないという結論に結びつ
くの
は無理がありませんか。
ならば日達上人が、大御本尊様を一般に礼拝させて学会と供に「功徳」をうたっていた
ことはまったくもっての間違いであったということなのでしょうか。私自身もそこにい
たわけですから、功徳のお話は伺っております。そのことは明確にして頂きたいのです。
>この富野さんの発言は、自身の信仰と戒壇本尊とが「隔別」という捉え方になってい
ませんか。
大聖人様が顕わされた戒壇の御本尊様を尊行し、大聖人様と思って慕う気持ちが「隔別」
となるのですか。私自身の信仰は「戒壇の御本尊様」あっての信であるのですから「隔
別」とはいえないのではないでしょうか。
お尋ねしますが、日達上人の一機一縁の紙幅の御本尊は、あれはどういう位置付けにな
るわけですか?
戒壇の御本尊が己心に建立するから見える形はいらないならば、150キロ離れた大石
寺の戒壇の大御本尊も、5メートル近くの我が家に安置される日達上人の曼荼羅もいら
ないことになるわけですか? 1センチでも距離があれば、すでに「隔別」でしょう。
我が家では朝夕、なるべく近くに寄って唱題しておりますが、また行法寺に参詣のおり
もなるべくお側に寄ってご挨拶するように心がけてますが、駄目ですか。偶像崇拝題目
をしていることになってしまうのですか。ちがうでしょう。
眼をつぶって唱題してもいいのか、という私の問いに、いつだか師は「なるべくしっか
り見てやりなさい」と教示くださったはずです。
>戒壇本尊のところに行かなければ正法はない、正信はないという捉え方になっていま
せんか。戒壇本尊を肉眼で見なければ納得>しないという捉え方ではなないですか。
違います。「戒壇本尊のところに行く」という距離の話をしているのではないのです。
我々末法の衆生全ての凡夫はこの戒壇の大御本尊様が建立されているからこそ、正信を
保った時に成仏の境涯を得る事が出来るのであって、そこへ「行く行かない」という
「見る見ない」という凡眼の話をしているのではありません。大聖人様がお隠れ遊ばし
た後「正法」は戒壇の大御本尊様が所持され、それを時の貫首並びに僧侶大衆が御守り
していくのが使命ではないのですか。
その原則がなければ「俺は経文誰にも負けない」という人間が「だから正信は俺の心に
ある」と言って「戒壇堂は我の胸中にある」と言い出す輩が蔓延してしまうではないで
すか。これはおかしいですよね。
日興上人が苦汁の決意で大石ヶ原に戒壇の御本尊様を運ばれた。そして、
一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。(日興遺
誡置文)
と貫首でさえ間違えれば用いるなという大事がありますよね。
日興上人が大切にされてきた戒壇の御本尊様の大事を否定するならば、それこそ異流儀
となりますし、
「萬年救護の爲に二十六箇條を置く。後代の學侶、敢へて疑惑を生ずる事勿れ。此の内
一箇條に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず、」でしょう。
では日興上人が守られた「日興が身に宛て給う所の弘安二年の大御本尊」とは何なのか
この際ですから明確にわたくしどもに教えていただきたいです。
※ところでどうして最近の御僧侶は信者の悩み(三悪)に対して、御本尊への唱題を御
教示しないのでしょう。個人的見解はいいのです。「御本尊の前に座れ」と仰る方がほ
とんどいないですね。私など、悪いことをした時にはまず「御本尊の前に座って唱題し
ろ」って怒鳴られたもんですが・・・・。
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誤字ご容赦のほど。 名前:富野 登録日時:6月 28日(金) 11時21分13秒
推敲なしでアップしたために誤字脱字が多く、誠に失礼しております。
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しばし 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 28日(金) 21時24分54秒
カキコできません。今も記念出版の会議でした。私だけ早く帰ってきたのですが。
これから鏡像の最終段階ですので、しばしの間ここに来ることが出来ません。
>コジョー君
了解しました。次回は会うのはいつかな?お講の時でしょうか。それまで。
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やはりおかしい 名前:G3KODAKA 登録日時:6月 30日(日) 01時19分38秒
富野さん、私はあなたからmacを教わりました。
macのG3という素晴らしい道具を紹介してもらいました。
そして、イラストレーター、フォトショップをはじめとするすばらしいソフトをも教えていただきました。パソコンの師匠だと思っています。
もしパソコン道というのがあるならば、その道の歩みにおいて、間違った点、誤った考え方があるならば、諭し、叱咤し、導くのが師匠の役目ではないですか。
>だめだ、こんな中傷しちゃ。あなたのPC師匠に。失礼だ。
>人にはそれぞれ仕事がある。
>小生は一日中ほとんど、あちらこちらのPCに張り付いて仕事をする者。
>それで女房子供を養っている。
>信心活動の連絡係もやってきた。
>WEBはあなたに小生が手ほどきした世界でしょ。
>ちょっと歩けるようになった途端に師匠に批判ですか!
>WEBはおばさんの遊び道具じゃないぞ。真面目な世界を悪くするのは
>そういう方々なんだ昔から。インターネットを舐めてはいけない。
>本日限りあなたは破門。
という、いきなり「破門」というのは、富野さんのいう「mac使い」「macマン」の語る言葉でしょうか。「華麗な」なmac使いの発する言葉でしょうか。あまりにも独裁的、独善的な振る舞いではないですか。
macを支えてきた人たちは、つねに批判と中傷にさらされてきた。それを乗り越えてきたのは「皆が使いやすいパソコンを作りたい」「皆のためのパソコンを作ろう」という純粋な気持ちがあったからではないですか。それをいきなり「破門」というのは、mac使いとしてふさわしくなりと私は思います。
そして…、
13日にあなたは住職と二時間にわたっていろいろと質問をし、すべて納得したのではなかったのですか。どうもまったく納得していないようですね。いや、以前より増して、疑問が吹き出しているのではないですか。なぜそれを住職に言わないのですか。
「疑問がすべて氷解した」
というのは、虚言ではないですか。それからの富野さんの発言を見れば明らかです。
とても大宣山・行法寺の法華講員としての信仰に立脚して発言しているとは思えません。
戒壇本尊の拝し方、血脈の捉え方、こんかい富野さんが発言していることは、住職の指導されていることと明らかに違います。やはりもう一度、住職にご自分のすべての疑問を、不信をさらけ出したどうでしょうか。ほんとうは「寸尺、高下、註記」したくてたまらないのではないですか。
この書き込みは当山の総会当日になってしまいました。総会には富野さんはいらっしゃると聞いていますが…。
質問については、後日、この掲示板で答えさせていただきますが、ひとつだけ。
やはり富野さんあなたの本尊観は「隔別」です。
それはコジョーくんへの返事に色濃く出ています。
>わたしは大昔ながら都合10度以上御開扉を受けて、その功徳を体感して
>おります。不思議なことに正本堂に移られてからの、熱い記憶がないので
>すけど。やっぱあれはおかしかったんでしょうね。詐欺にひっかかった。
>でもやはり遠くて見えなかったけれども、なにかそこにある!感じるぜぇ
>と観じたものです。
>本来は広宣流布の時までは御開扉なぞできない性質の御本尊様だそうで、
>あーもうけた、とも思ってますけど。(苦笑)
>ともかくも、宝をはやく正常なところに御安置申し上げて、歴史にも多
>くの御正師がお住いになっておられたあの富士大石寺に正信の御僧侶が
>はやくはやくお帰り願って、そして自分たちも心の故郷として時々集う
>山にしたいと思うのですよ。
これはいかに富野さんが御本尊を物質的に、そして即物的に捉えているかを顕わすものでしょう。
戒壇本尊と大聖人様のご魂魄を別々のものとして考えていませんか。また各寺院の御本尊よりも、各家庭の御本尊よりも、戒壇本尊の方が功徳がある…というような御本尊様の差別をしていませんか。
だから住職が言われたのです。「寸尺高下註記すること能わず」と。
住職の指導をよくよく考えていただきたいと思います。
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詳細は後ほど。 名前:富野 登録日時:6月 30日(日) 09時29分56秒
>G3KODAKAさま
お忙しいなかをレスいただきまして、ありがとうございます。
少々時間的に切迫しておりますので後ほどお返事をいたしたいと思いますので
申し訳ございませんがよろしくお願い申し上げます。
ひとつだけ申し上げたいことは、私がここまで記して参りました文面を、その
行間もふくめてもう一度眼を通していただけたらと思います。
この掲示板は下の方から削除されていってしまいますので、それ以前のコメント
については管理人のにゃっはりさんがログを記録しておいでかと思います。
語調というものの人によってのとらえ方もございますが、そうした表面上のこと
はとりあえず横に置いていただいて、ぜひ私がなにを申しているのかを再度確認
していただければ、私が単なる「独善」「独裁」なる男ではないことは理解して
いただけると思うのです。
また私はご住職にものを申しておるのではありません。その必要があれば直接お
会いして相談にのっていただきます。
なんでも困ればご住職というのもいかがかと思います。
私はご住職にお話しているつもりはまったくありません。
ある意味、法論戦のシュミレーションぐらいに受け取ってくだされば非常にあり
がたいのですが、ね。
ですから相当鬼っ子になることも覚悟です。そうまでしている意味はいつかわかっ
てもらえると信じて。
ここを訪れているメンバーに、なかでも僧侶のお立場のかたに当家の根本的なあり
かた、信心のありかた等についてご教示を願っている次第です。
なぜなら、現在までにそうしたことについての堂内での指導などを受けた覚えが
ほぼ、まったくないからです。基本的な教学部分についての指導を賜った記憶が
驚くべきことにほとんどありません。
七百五十年。死ぬるほどの苦闘、厳守されてきた日蓮大聖人の法門法義の、その
入門編程度のことですら、真剣に研鑽されたことがないのではないでしょうか。
現実に、いま調布に参詣してくる青年少年、あるいは一般講員さんに「御本尊様」
って何?と尋ねて、帰ってくる答えには必ず相違があるはずです。
ぼやーっと、なんとなく、という感じの認識が多いと思われます。
学会と宗門と我々の信心の違いは?などと聞こうものなら、それこそ大騒ぎにな
るやもしれません。
私が仲の良いここの方々に試しに疑問を投げかけただけでも、おかしい、独善だ
、あげくには不信のレッテルが貼られようとしておるような有様ですから。
人に信じろというのであれば、まず自分が信じなければ成立いたしません。
以心伝心を頼みとするような状態でもって今日までお世話になっている状況に、
ふと私は不安になったわけです。
そして、自己の信仰観としていることどもを、この際なのでストレートにお尋ね
して、修正すべきは修正し、反省すべきは反省し、確認すべきは確認したいと強く
思っています。
しかしながら、現在までのところ、納得するまでに至るご返事、ご教示がいただけ
ないために、少々いらだちを覚え、それでは少々声高にものを申せば、眠い眼をこ
すっていただいて、真剣に応対していただけるのではないかと、一連のコメントで
失礼させていただいております。
あまりに危機感や緊張感がなさすぎる、というのが私の気持ちです。
一言のもとに「行法寺不信の者」と決定されることは、「PC道破門」なるなかば
冗談がらみで本人に反省を求めている言葉とは少々性質が違うと思うのですが。
(破門?に関しては本人の反省が見られれば考えてもよろしい・・・)
不信や動議を起こそうとしておるのであれば、行法寺公衆の面前にて、公式なる
質問状などを読み上げて、徹底的に論議していく姿勢で開始いたすでしょう。
私はそのようなことを申しているのではございません。
あくまで同じ道行きを行く者として、どうしても解決しておきたいことがあるので
すが、それはここまで親しくしてきた、忌憚のない意見や疑問を投げかけることの
できるメンバーが集っているところで、皆さんの意見も期待しながら、おもいきって
云いにくいことも発言させていただいているわけです。すこし直裁すぎるかもしれま
せんが、そのおかげでどうですか、皆さん結構活発な書き込みが始まっているじゃあ
りませんか。本音トークができてこそ真の友人、真の同門同士ではないでしょうか。
そうではない、それはお前の勘違いということであれば、即刻すべてを取り消しまし
て、反古とし、二度と私はここにはまいりません。
なんでもかんでもご住職と下駄をあずけるような姿勢が、かの悪名高き池田氏や日顕
氏を生み出したのではなかったのですか。
「人に仕えるのではなく法に仕える」のが正信覚醒の僧俗ではなかったのですか。
私は皆さんの信心における真心を期待してます。
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すじが混乱している 名前:otama 登録日時:6月 30日(日) 18時01分10秒
もう、いまさら何を言っても通じないだろうなぁ....
最初からつうじていなかったのか...とおもいましたから
何をかいわんやですが
私の事が話題になっているようなので、あえて、ひとこと。
富野さん
あなたは筋道が混乱しています。
私が「WEB中毒」といった事は
あなたの職業がからみパソコンとのかかわり状況を中傷したのではない。
あなたの信心の理屈を解決しようとするのに、WEBに依存しすぎている状況を言ったのです。
ここに記している言葉は、あなたのかつての手ほどき相手とシテではなく
同じ、行法寺の信者仲間として、おかしいものをおかしいと
五分の姿勢で言ったまでです。
けれど、あなたはその二つの立場をごちゃ混ぜにしている。
その言葉使いをもって破門したければ、破門のままで結構です。
別にあの言葉を謝るつもりは一つも有りません。
私は自分の真心を卑屈にして
どぶに落とすつもりは有りませんから。
ただ、G3さん同様
手ほどきの事共は、ちゃんと感謝しています。
だからよけい、ほってはおけなかった。
(今デも、これからも、
あなたが自分の身の内に仏を感じる事ができるよう、ひたすら願っています)
真面目にあなたの
信心探究の現状に警告をしただけです。
撤回するつもりもなければ、わたしの見方が間違っているとも思っていません。
失礼な事を言ったとも思っていません。
こんごも、もしそう言う事が続くなら、
私は、ああいう表現をします。
晴らしたいものがあったら
WEB上で解決しようとするのではなく
直談判でやるべきだ。
手の届かない所に相手がいるわけではない。>前にも書いた。
たとえ、多少の資料をWEBからとったとしても
肝心の所の疑問は、人と人が向かい合って
全人格でやるべきです。
WEB上のTXSTのやり取りで解決できるとは思いません。
この法門の事は奥深く、立体的です。
こんなBBSのやり取りでわかるほど、一面的ではない。
それと
「教えてくれない」の連発ですが
同じお講を聞いているのですよ。
私達に特別講議があったわけではないのです。
お講をノートして、考え直し、自分の知識で裏打ちしたり
疑問に思ったら、質問したりです。
言葉でも、お手紙でも質問しました。
手紙が帰ってくることもあれば
ちょっとした立ち話で答えて下さる事も有り、
問題が大きければ、お講の時に取り上げて話題に入れて下さる事も有りました。
「教えてくれる」のを待つのではなく
こちらも考え、念を押したり、質問したりして積み上げるのです。
お釈迦さンのお経も、みな個人の「質問」にたいする「答え」です。
何がしりたいか。
是を衆生はいう必要が有るのです。
それもなくて「教えてくれない」では...チトちがう。
そして、前にも書きましたが
教えを請うには、請う姿勢が必要です。
又、安易に「感服しました」を繰り返すのではなく
とことん質問し、正直に腹を割るべきだった。>住職に。
結局、位負けしたけれど、なにもスッキリはしてなかったと、私には見えましたよ。
だって、ここに書いたような事を喋ってないのでしょう?
しかし、あなたは私が
感情的な我見ばかり言う、S学会の婦人部と同じだと蔑んでいますから
(在学会時代、私のまわりには、そんな婦人部はいなかったけど..女子部だったしね)
何を言っても、お聞こえにはならないでしょうけど。
最後に
仏(久遠元初の仏ね)が、もったいなくも、我々の身の内におわしますって事に付いて
参考になる文証を2〜3あげておきます。
御所システムを持ってないから、細かい間違いがアルかも知れませんし、
何処に有るかは、そちらで調べてください。
*己心の外に法ありと思わば全て妙法にならず、ソ法なり。云々
*、始めて我が心、本来の仏なりとしるを即ち大歓喜と名ずく。
*此の御本尊余所に求むル事勿れ、
只我等衆生の法華経を持ちて南無〜と唱うる胸中の肉団におわしまする。
あと、生死一大事血脈抄にいろいろ
そのほか、御義口伝にたくさん。
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タイムラグ 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:6月 30日(日) 19時40分55秒
があったから、この掲示板もそうだと思っていましたが。まあいい。私の中ではすべてOKです。
さて本日の総会。よかったです。
オタマねーさんの発表もよかった。みんな私語を止めて、静に耳を傾けていましたね。
住職との雑談の中にオタマねーさんの発表のこともありましたが「とても良かった」と
喜んでいました。やっぱ、内々だけでやるのがいいかも。きらびやかなのはいらないと思いました。
もうすぐ決勝が始まりますので、また。
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愚見横レス失礼いたします。 名前:ゴジラ 登録日時:6月 30日(日) 22時18分45秒
>タグボートさん
横レス失礼いたします。
「戒壇の大御本尊がなければ一切衆生は成仏できない」との
主張かと思われますが。
先日いただいた、折伏の栞や御書を読みますと日蓮大聖人、日興上人、日目上人に
「戒壇の大御本尊」とゆう言葉は残されていないようです。
いつもながら、思いつきなのですが「日興が身に宛て給う所の弘安二年の大御本尊」
とは、それまで大聖人が試行されてきた御本尊御図顕の到達点として
御自分の涅槃から以後の凡夫のため、その本尊に惑うのを予見せられ(釈迦木像を本尊とする等)
御自分の涅槃後に直弟子の長たる貫主が書写しなさいとゆう意味で日興上人に御遺言
されたのではないかと思います。
その体相を見ますと私見ですが中尊の南無妙法蓮華強日蓮は一連に思えます。
以前タグボートさんが書き込まれた事と同じ、人の振る舞いと法は不可分であるかと思います。
ですから、大聖人御自身も諸法実相抄において、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきら ふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。
未来も又しかるべし。是れあに地涌の義に非ずや。
剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的(まと)とするなるべし。」
と仰せです。「戒壇の大御本尊」を的としなさいとは仰せではないと思います。
では、本尊とは何かとゆう事になるかと思いますが、おたまサンの挙げる御書もそうですし
敢えて追加すれば ◆ 阿仏房御書 【No.22251・R6・建治二年・阿仏房】
しげきゆへにこれををく。所詮 三周の声聞法華経に来たりて己心の宝塔を見ると云ふ事なり。
今 日蓮が弟子檀那又々かくのごとし。
末法に入りて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。
若し然れば貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなふるものは、我が身宝塔にして、
我が身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、
宝塔又南無妙法蓮華経なり。
今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり。
然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此れより外の才覚なり。
聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝を以てかざりたる宝塔なり。
と仰せかと思っています。
大聖人御図顕の曼陀羅は私見ですが、読経唱題のため(信心修行)のため
大聖人の大慈大悲から現されたのだと思います。
凡夫の偶像を求める心、心が弱く信心を保つことが難しいことが
重々解られたいたために現されたのではないかと思っています。
現実に私自身も御本尊をいただいいていなければ、とても信心を保つことが
できていないと感じています。
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誤字訂正 名前:ゴジラ 登録日時:6月 30日(日) 23時03分26秒
下記書き込みで誤字脱字がありますので訂正致します。
>南無妙法蓮華強
南無妙法蓮華経
>外の才覚なり
外の才覚無益なり。
すいません。
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分かった 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 1日(月) 00時43分00秒
やはりちゃんと顔を見て話さないと分からないことがたくさんありますね。
今日、タグボートさんとお話しをして、確信しました。そして分かりました。
もう、ばっちりタグボートさんを信頼します。しかし、間違いは間違いと指摘いたしますし
ご質問には出来るだけ信仰に直結したお話をします。
これは信仰のお話ですから(折伏しようとしているのでしょ?)、我われの信仰に直結しないものは
レスをやめます。加えて、私見は出来るだけ避けようと思います。
さて、正信覚醒運動とはもともとなんだったのか思い出しましょう。
「学会の誤りに気づいたことを契機に富士の清流を取り戻す運動」
「連合体である。つまり、誰かが強力なリーダーシップを取るものではなく、
日本各地、自然発生的に自発的な運動である」
ということです。このことをよく考えれば、あらかたの正信会に対する批判には説明できます。
よく反芻して下さい。
先日、道郷論争に関する研究と私の考えを述べましたが、はっきりいってこれは決着しておりません。
あくまで論文です。論争があろうとなかろうと、我々の信仰には何ら関係ありません。
何回言ってもこれが分からない人は、信仰を求めているのではありません。単なるイチャモン。
この種のイチャモンは結構あると思います。不受不施の不受だって結局は決着していません。
これら関して質問があった場合、坊さんは自分の考えを自らの信仰に照らし合わせ、
相手に応じた返答をします。で、坊さんによっては違う言い方や、ものによっては
結果的に反対の結論になることだってあるでしょう。これをつかまえて
「正信会は坊さんによって言うことが違うから、間違いだ」
というのは大きな間違い。そもそも寺信心が基本でしょう?枝葉の部分まで「正信会の統一見解」
なんてあるわけありません。だって、連合体ですから。
「これが正信会の統一見解ですか?ならば云々」などと口にするのは、正信会を学会や今の本山のような
ものと同一視しているということです。
「ならば、山が清浄に戻った時の状態をどう説明するのか」という質問がありそうですね。
それとこれとは少し次元の違った話です。お分かりでしょうから省略して記しますが、
「貫主は目師の代理」であり「登山とは常随給仕の化儀である」ということです。
まだ分からなければ、またご説明します。
最後にやっぱ私見。青年部の無知について。私は学問に無知をなんら恥ずかしいとは思いません。
(坊さんは恥ずべきですが)
また、正直で素直な「こころ」は人を見透かします。
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恐い事。 名前:よみびとしらず 登録日時:7月 1日(月) 11時30分22秒
「...中程は、僧をも恭啓せず、自慢して悪見をなす.....」>大聖人
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おおおおおお! 名前:おたま 登録日時:7月 1日(月) 11時52分17秒
それは「恭敬」だろう...?
是も、多分だけれど。
今日、お掃除。すいませんけど、お休みします。
なんだか、ちょっと、頭がフラフラする。
御身お大切にします。
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ゴジラさんへのレスです。 名前:富野 登録日時:7月 1日(月) 13時55分44秒
>ゴジラさん
昨日は、お互いにいろいろ忙しくて挨拶もできずにおりましたが、なかなかあの
ような状況ではゆっくりとお話をするということは難しいですよね。
直にお話しするメリットは欠けますが、その分ゆっくり思索しながら論を立てて
いけるこのような掲示板スタイルでのやりとりも、そんなに不都合なものではな
いというのが自分の主張です。もったいなくも大聖人様もたくさんのお手紙で対話
しております。「文は人なり」です。梅雨法門研鑽会とでもしますか。
ただし、相手が何を言おうとしているのかを、その意図を、しっかり受け止めると
いう誠意がないなかでの議論は、単なる自己主張合戦、感情的で不毛な板喧嘩で終
わってしまいます。筋がまったく違う方向に勝手に流れていってしまう。話題が好
きじゃないからといって横から「張り逃げ」したりちゃかすような下品な板になる。
また匿名性を悪用した「悪口雑言」になります。他の有象無象の歌舞伎町的掲示板
になって、誰もやってこなくなってしまいます。
ならこのくそ忙しいときに、こんな精神闘争のような苦しいレスは終わらしたほうが
健康にはよろしいでしょうね。そのかわり、たぶん二度とこのような話し合いの場
は失われてしまうでしょう。
そのようななかで、ゴジラさんはとても謙虚な姿勢でこの論議に参加してくださっ
ていると思います。ですから、自分も浅学非才のところを諸天の知恵をお借りしな
がら、多くの非難(想像していましたけれど)に「ちょっと待ってください」と私
見ながら警鐘を打ちたいと思ってます。
それではゴジラさんにレス、いきます。
▼「戒壇の大御本尊」とゆう言葉は残されていないようです。
▼ですから、大聖人御自身も諸法実相抄において
諸法実相抄は文永十年の御作です。
佐渡流罪になって「発迹顕本」された時期です。開目抄は文永九年。
これは題目のみを唱えていた佐渡以前とは明かに違う御化導ですが、それでも「出
世の本懐」ではないのです。熱原の法難はまたその後の弘安二年ということに注意
してみてください。
『聖人御難事』に「此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年なり。仏は四十余
年(中略)…出世の本懐を遂げ給ふ。(中略)…余は二十七年なり」
と仰せのように、御本仏の出世の本懐として顕わされたことは明白です。
弘安二年十月十二日に「出世の本懐」という一大事を述べられた結果として本尊が
御図顕された…。この大御本尊には「本門戒壇」との脇書きがしたためられていま
す。この意義が大切だと思うのですよ。「時を習うべし」が重要で、切り文では見
えないものがあります。
日寛上人は「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本
懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。既に是れ、三大秘法の随一なり、況んや一
閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段)と説かれています。
さらに、大聖人が、弘安五年に日蓮一期弘法付属書で
「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を
待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり」
と仰せの如く御安置申し上げる大御本尊です。明確に「富士山」と言っておいでで
すね。
それでは私たち正信の者の富士山、「所縁の境」はどこにあると思いますか。我々
の胸の内なんでしょうか。我々の六道の己心のなかでしょうか。仏法はどこまでい
こうとも「縁起の法門」といわれます。
あくせく一日中、稼ぐために腐心している我々のなかに「正境」があるとは思えま
せん。そんなものを頼みにしたら流転の六道で終わってしまいます。
ではいったい何(所縁の境)に依って(縁起)、功徳が賜れるのか。幸せになれるのか。
「日蓮が魂を墨にそめながして」首題七字を大書きし、左右に仏界・菩薩界と順次
に十界総帰命の御本尊を図に顕された意義がそこにあるのではないでしょうか。
「一人ももれず此の御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形と
なる。是を本尊とは申すなり。(中略)十界具足とは十界一界も欠けず一界にあるな
り。之に依って曼陀羅とは申すなり」(日女御前御返事)
▼御自分の涅槃から以後の凡夫のため、その本尊に惑うのを予見せられ(釈迦木像を本
尊とする等)
▼御自分の涅槃後に直弟子の長たる貫主が書写しなさいとゆう意味で日興上人に御遺言
▼されたのではないかと思います。
これでは偶像崇拝になってしまう可能性のほうが大きいのです。なぜなら、己心の刹那
成道を覚知する事の方がはるかに難しいのに、本尊が目で見えたら、そちらに意識が行
ってしまうだけになる。それでは十界曼荼羅を顕わされた意味は無くなってしまうので
はありませんか?
「曼荼羅」を書写されたのは何故かと言う深い考察が必要ではないかと思います。
見えるものと見えないもの、どちらが理解が簡単でしょうか? 見えていても、迷って
しまうのが我々です。「縁起仮和合」という法の流れを知らない妄見になりやすいので
す。戒壇御本尊についてもこの【存在の重要性】がここにあります。
▼大聖人御図顕の曼陀羅は私見ですが、読経唱題のため(信心修行)のため
▼大聖人の大慈大悲から現されたのだと思います。
御本尊は読経唱題のため(信心修行)のために顕わされたものなのでしょうか?
出生の本懐はそんなものだったのか? 佐渡以前にも題目は唱えられていた。仏像を拝
んでいた時期もありますね。じゃなぜ曼荼羅が図顕されたのか?
読経唱題のため(信心修行)のための道具、素材ならば、まったく同じ者を誰かが書い
てもいいはずです。
例えば、信者がいないところで、まったく同じ紙質でコピーされた本尊に摩り替えたと
したら、読経唱題して本尊は建立されるか否か・・・。 曼荼羅は素材であって、衆生
が本尊に迷わなくなったら、取り下げても良いのでしょうか・・・。このあたりです。
大聖人様の御影像の方がよほどわかりやすくなってしまいます。余談ながらその北山さ
んでさえ御影像はサブにしているご様子。お宝たくさん持っていても、御本尊第一義にしているくらいです。
大聖人様は何故、十界曼荼羅だったのだろう・・・このあたりです重要なところは。
日蓮正宗750年。それも正信会が出来る以前の正信会僧侶が内外に語ってきた事が根
底からひっくり返されている現今であることを私は確認したわけです。
それが真実であるなら宗門や学会とも法義の話をやらなければいけないでしょう。
めんどくさいからごまかして、天に任せてしまえ、ではあまりに行き当たりばったりの
「博打信心」と堕すると思います。そのような姿勢では天罰覿面だから危機感をもって
いるのです。
あやふやの本尊観がもっとも今問われているのです。
正信を標榜するわれわれなんですから、もっとしっかりしなければ。
戒壇の本尊がその程度のものならば、日達上人以下、代々の貫首は、あってもなくても
いいような、まるで仮の尊体のようなものを拝ませて来たということになりますし、そ
んなべらぼうな話はないと思うでしょう?
寛師や有師の教学を否定するのであれば別問題ですが・・・。
じゃあ、なにがどうなっているのか、この最きっちり研鑽しなおそうというのが自分の
主張です。
日興上人が大切にされた御本尊は、今の我々には直接関係ないものとなのか、そうでは
ないのか・・・・。
重宝国宝なんてなったらもうおしまいでしょう?
法体とはどういうことなのか。
三大秘法抄を抜粋しました。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ち
て、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下
して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。
時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法
のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり。
(三大秘法稟承事)
長くなると怒られるのでいったんここで切ります。
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よみびとしらずさんへレス 名前:富野 登録日時:7月 1日(月) 14時19分23秒
>よみびとしらずさん
新池御書ですね。
「皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよはく、
僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。」
まったくそのとおりです。
そのあとの御文も大切な行動ですね。
「何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。」
このような僧はまた人々の道心、道念によって育てられるともいえますまいか。
盲信がある時、阿部氏池田氏を生み出すともいえますまいか。
歴史は螺旋状に進む特性があります。いつか来た道を辿ることのなきよう。
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皆さんへの質問 名前:富野 登録日時:7月 1日(月) 16時46分21秒
>にゃっはりさま
なんだか御身にもまたG3さまにも非常に迷惑をおかけしておるここ半月。
本音を申しますととてもキツイ。僧侶蔑視とまで思われてしまっては不覚
なので、そろそろこのスレッドはお蔵入りにしようかとも思ってしまいま
す。偉そうなことを述べております自分にしても、日々、息切れをおこし
ながらの御書拝読でありますし、臨界線ぎりぎりの文章をアップするのに
も長距離ランナーの孤独、もとい、長距離ランナーの体力がいりますね。
好かれようとは思いませんが、蛇蝎のごとくに嫌われる道ってのもやはり
辛いですし。
仕事もたまってきましたので、そろそろそちらにもいかなくては・・・。
しかしもう少しだけ勇気をふるって書き込みを続けてみようと思います。
>皆さんへ
講を活性化するのには「みんな仲良く和気藹々と集う」という場は絶対的
に必要だとは思いますし、そのための努力として少なくともこの掲示板に
来ているアクティブメンバーは行動しなければいけないでしょう。
なによりも楽しい朗らかな、通って幸せな講中にすることが、もっとも必
要なこと、急務かと思います。
ただしかし、その活動メンバーこそそれだけの信心と教学と行動が要求さ
れると思うのです。
口だけならいくらでも言えますし、遠巻きにして指示を待つだけならただ
のお寺のお客さんです。
750年慶讃。なんとか個としての自分ができることを精一杯報じるとい
う気持ちがなくてはいかんと思うわけでして。それも「信心」かと。
そうしたパワーを呼び込む、そのためにも、我々の本来の目的とか信仰姿
勢や規範を一度確認しあってみたかったんですね。余計なことだったかも
しれませんが、私がそれを確認したかった。
学会の和気藹々と宗門の和気藹々と(そんなものないようですけど)わたくし
たちのそれと。
確信をもって行動したい。そのために一度、皆さんの考えもお尋ねしてみ
たい。ということもあります。発起衆としてとらえてくだされば幸いでは
あったのですが。
そしてそれをおたまさんも望んでおり、意思統一はできていたはずなのに・・・。
まったく裏切られた。まるで二枚舌のようなことを云われるから、私もさすが
にかっとなってしまって、あのようなことを書いてしまったのです。
皆さんにとって「信心」てなんでしょうか。
私は究極のところを覗いてみれば、「大聖人の仏法に信伏追従」となります。
つまり「御本尊様に絶対信を置く」となり、まったく無条件にて「佛さま
の存在を信じる」ということです。
四信五品にいうところの諸信の一念信解と初随喜でいい。ずーっとそれだけ
でいいです。それだけで良いと連祖大聖人は仰せです。
しかしその信心には経を(つまりは御本尊様を)「読誦」せよとある。
読は御本尊様に「向かって」唱えること。
誦は御本尊様を受持している者が御本尊様のないところで御本尊様を思い浮
かべて唱える題目を云います。
読の功徳も誦の功徳も、功徳には変わりないと申しますので、阿部氏のよう
な論法は邪義邪法となりましょう。
しかしだからといって御本尊様がなくていいかといえばそんなことはないわ
けで、読もしっかり実践しなければいけないとも仰せであること、ご存じの
とおりかと思います。
で、その読の対境たる御本尊はどこかといえば、我が家&行法寺&大石寺と
認識していることを、皆さんにあたりまえじゃないか、といわれることを想
定しながらも発言したわけです。
ところが皆さん一斉に「ちがう、最終的には自分の信心する己心にある」と
いうのです。
あたりまでしょう。己心を離れて一瞬たりとも信心も仏法もありはしません。
それに私は異を唱えているのではないのです。はじめから終わりまで。
よく読んで欲しいのですよ。私の意とするところをまったく考えようとせず
に、分かり切ったことばかりの大合唱です。
私がまるで宗門か学会かあるいは妙信講みたいなことを言い出しているかの
ようなお返事であります。
いったいいつ私がそのようなことを書きましたでしょうか。
「論を疑え、師を疑え」を失ったら、白蓮院さんについていく信者さんの信心
はどうなりますか。あの方々も「信心」「師」「御僧侶」と思っていたでは
ないのでしょうか。あの方がたは正しかったのですか?
考えてみれば「信心」という言葉は非常に危険な言葉でもあるのです。
その言葉だけで酔ってしまって、道理もなにもかも見えなくなる。
それを【見惑・思惑】と申すのです。
私だってもちろんその過ちを逃れられない。そのために毎日毎日唱題しながら
反省判断を怠らぬように研鑽しています。
云わせてもらえば幼い信心であの怪物どもと戦えましょうや。
ましてや流転してやまぬ己などの「己心の信心」を頼みとして「戒壇の大御本
尊」を軽視する発言は、池田さんを大喜びさせる
だけではないでしょうか。戦略的にもそれは絶対にいってはならぬ掟ではな
いかと思いましたので、ちょっと噛みついたわけです。
戒壇を否定、軽視したら、必ずそれは【謗法】と私は主張しているのです。
それが増上慢でしょうか。驕慢でしょうか。異流儀でしょうか。
皆さんがそうだと判定するのであれば、ちゃかさずに道理を通してこの私
を折伏してください。それが慈悲でしょう。
そうした皆さんの姿勢こそが結果、自身に充ち満ちた相となって、講に集
まる方々に明るさと朗らかさと確信を与えていくのではないでしょうか。
いくら明るくても、和気あいあいでも、道を踏み外してしまえば皆で六道
巡りでしょう。
天界の感動と仏界を一緒くたにしているお人が皆さんのなかにいませんか?
自分と異なる意見をいう者は邪信と即座に判定する姿勢は非常に危険です。
法の話で悪口になれば、その者が敗するというのは古来からの定法であり
ます。
----------------------------------妙法をめぐる現状の考察
極右翼側主張
■「富士大石寺の戒壇の御本尊に直拝しなければ成仏しない」阿部氏
■「法主猊下に信服伏従しなければ成仏しない」阿部氏
■「それがわかったら30万円貯金箱もって総登山せよ」阿部氏
極左翼側主張
●「僧侶も本山も末法にはいらぬ民衆がいればよい」池田氏
●「日蓮直結する信心ある我々にこそ正法がある」池田氏
●「なんだかんだいっても銭よ。利善美よ。それが価値よ。平和よ。」池田氏
●「本尊はそのうちオレが書いてやる」そんなことはいってないか(笑)
●「オレ様の裸レリーフ外したからみろ罰があたる。」きっと云ってる。
●「正信会?ああ、勝負に負けた奴らね。」池田信者
●「お山?待っててね、そのうち取り返すから」池田幹部
中道を名乗る身延等の主張
▼「聖人の直弟子は6足。日興ばかりではない。」
▼「佛は釈迦牟尼。菩薩は日蓮聖人」
▼「仏法はもっとおおらかであり、どことも仲良くする平和思想」
▼「一隅を照らす天台が大好き」
▼「御書?偽作ばっかにきまってるよ」
▼「寛師や有師などの石山教学はでたらめよ」
さてさて
極端な本尊観3題ですが、私たちはどのように主張しているのでしょうか。
そこをしっかり自覚しないと、法灯相続も研鑽も折伏も確信もってやれないのでは
ないかと思うのです。極左と極右、半端な中間、さて私たちの「信心」のスタンス
はいずこにありやと思いますか?
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多分、是が最後のレス 名前:otama 登録日時:7月 1日(月) 18時41分05秒
疑問や意見を本音で
遠慮なく、どんどんぶつけて行けと、確かにいいました。
影で、あなたの見えない所で、援護射撃もしました。
けど、掲示板でやれとは言わなかった。
つねに、直に話し合ってと言っていたはずです。(あっちでも)
ここばかりでなく、他の場所でも、個人的にも
心を開いて「話し合って御覧なさい」と何べんも言ったはずです。
そして、私の一番いいたい事
御出家にはご出家に対する敬意を持って対すること。
私は無法なようですが、御僧侶を心の上座からおろした事は一度も有りません。
(このことも、なんべんも言ったと思います)
その上で、かなり大声で、まさに本音を言わしてもらっています。
しかし、常に一方的にでは有りませんよ。
ちゃんと相手の話をうかがっています。
何に対してもそうですが
相手に敬意を持って対さなくては、なにも聞こえない。
自分が一番「知ある者」ではないのです。
物知りが「知ある者」でもない。
本質をきちんと見極められる「知恵」が伝わっているかどうか。
そして、根本的な事に違いが有る。
あなたは正宗に伝わる本尊感を全然学ぼうとしない。
此の団体の信じゃとしてやって行くには、
この根本が受け入れられなくては、志を共にする事は出来ないでしょう。
人の「考え方」の根本ですから。
一番大事な所が違っていた。
あなたの全ての「所説」はそこに根ざしているのです。
そして、それを尋ねるのに、謙虚でなかった。
あなたが論を重ねる度に、根本的な姿勢に違いを発見する事が多くなった。
私はレスする度に、それらの事を言ってきたのですが
あなたは、感情的だとけいべつして、ちゃんと読もうともしなかった。
何か、若手僧侶を初めとして、私達を
あなたの仕込んだ思想で折伏している感じでした。
私とは根本が違う。
そうであれば、援護はできないのです。
私は行法寺で研修シテ、拾得し、納得した仏法を
何とか人々の中で活性化させる為、水魚の思いでやって行きたいノミで
その為の意見をたくさん言わしてもらてます。
お坊さんを自分の思う人格にしようと言うのでは有りません。
私の我を張りたいとか、褒められたいとか、
認められたいとか、権威を持ちたい言った思いは少しもないのです。
私が謝るべき事があるとすれば
あなたの考えている事が、こんなに違うと、見抜けなかった事です。
白蓮院のチバナ老人にうっかり同調しそうになった時のように。
おろかですので
他人もみな自分と同じように、
この正信をここに立てようとしていると、簡単に思ってしまうのです。
あなたもそうだと言うかもしれんませんが
見ている方向がまるで違うのです。
顕著なところでは
私は当分はお山に帰るべきではないと思っている者にて。
そのことも、なんべんも言ったでしょう? 別途メールでも。
あなたは私のことを、「可愛い女だと思って、ベットインしてよろこんでたら
朝になってみたら、男だった」と言っていましたが
多分、そう言う事は、お互いさまでしょう。
もう、だまりますが
「あるひ」が来る事をまっています。
娑婆世界は変化の処にて...
あなたが今、寂しい思いなのもわかります。
それと、
此の掲示板上でのことは
あなたの奥様と、息子さんとは、ぜんぜん別の事だと思っていますから。
あなたから言われて、私を憎まない限り
これからも、行法寺の信じゃ同士とおもって
仲良くして行きたいと思っています。
人の考えは皆別ですし、
それぞれ別のタイムを持っているものです。
それでも、ディスクロージャーしてよかったと思ってます。
ここから、いまから、始まるのだと、おもってます。
御自分の中の仏を、確かに握ってみてください。
そればかりお祈り致しております。
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おたまさんへレス 名前:富野 登録日時:7月 1日(月) 21時00分07秒
>otamaさん
いつになくお優しいお言葉、感じ入ります。
人生とはなんと不思議、妙なるものでありましょうか。
ながく仲良く、一番心やすくしていた人と、ひょんなことから信心の根本問題
に分け入ったのはいいのですが、どうも、ぜんぜん異なっていたようですね。
いやぁ、まりましたよ。仰天同地の思いです。
このことについては今後にゆだねてまいりますが、ひとつだけ。
互いの誤解がありますと、つまらないので確認いたしましょう。
>あなたは私のことを、「可愛い女だと思って、ベットインしてよろこんでたら
>朝になってみたら、男だった」と言っていましたが
ちゃうちゃう、これは「正信会」の骨子のことを云ったのです。おたまさんの
ことはいつでも生命力のある魅力的なお方だと思ってますよーーー。ほんと。
ただちょっと自分本位なところがありますね。乱暴もの。なおかつ二枚舌のよう
に思ったので破門いたしました。貴女は他人に「ごめんなさいね」が云えない
ひとです。
>御出家にはご出家に対する敬意を持って対すること。
そうですね。いままではずっとそうしてきたことは御僧侶はご存じのはずですし
いまでも自分としては最大級の敬いを払っておるつもりですが、なんとしまして
も、語り口が失礼であったかと思います。ご不快があればここにお詫び申し上げ
ます。論戦に突入いたしますとギンギンになってしまうのが昔からの自分ですの
で、どうぞお許しください。これで会社を首になったこと数度・・・。
なかなか自分というものは御しがたいものであります。
>あなたは正宗に伝わる本尊感を全然学ぼうとしない。
ですからそれを教えて頂きたいと最前から云っているのが、まだわかりませんか。
私のレス、もしかして読んでないじゃないっすかぁ?
私だけがまっすぐストレートに自身の本尊観を述べているのですよ。
そうしたら、それはまちがっているというから、それではどこがどうまちがって
いるのかを論的に正直に正確にお答えください、と頼んでいるのです。大事なこと
なので。
修正すべきなら修正いたしますし、悪いところがあれば直して出直します。
いままでに私が馬鹿のように書きつづってきた内容と、それに対してお答えいた
だいた返事の数々を、お願いですから、後生ですから、もいっぺん読み返しては
くださいませんか。長くて申し訳ないとは思いますが、これまでのタグボートという名にめんじて
もう一度だけ読み返して、どこがおかしいのかを教えてくださるわけにはいかない
でしょうか。私も必死なのです。自身の信仰がかかっております。
>あなたが今、寂しい思いなのもわかります。
これです。私が怒っているのは。
そういう見下した言い方はおやめください。
完璧なまでにこの視点の置き方は、学会流義です。仏道修行者のものではありません。
>それと、
>此の掲示板上でのことは
>あなたの奥様と、息子さんとは、ぜんぜん別の事だと思っていますから。
これはなにかの脅しですか。なんで家族が出てくるのでしょうか?
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時の流れは速い 名前:コジョー 登録日時:7月 2日(火) 16時10分32秒
まず、
7月1日から、自宅のパソコンでインターネットができなくなってしまいました。単なる自分のミスです。復旧したら連絡します。現在は学校のパソコンでやってます。
にゃっはりの飼い主さんへ
>天台の書を読んでそれをそのまま「観心」とする
とはどういう意味でしょうか。天台宗の書物に書いてある「観心」と、本宗でいう「観心」とは意味が違うということでしょうか。ご教示お願いいたします。
それから、今週末の御講にも出席できません。申し訳ありません。来週の時間ある時にお伺いしたいのですが、そちらの都合はいかがでしょうか?ご連絡お願いします。
タグボートさんへ
タグボートさんの文章を読んでいて、ずっと思っていたのですが、少し創価学会の雰囲気が残っているように感じました。「論戦」「敵」などの言葉がそうです。僕の実家では、母が信仰についての新聞を作っており、たまに学会の方々がいらっしゃたりしました。そして、母が信仰についての話を交わすのですが、どうも次第に声が大きくなり、大声を上げるようになったりしました。父の話では、学会の方は低次元(字面にこだわったり、ご僧侶の私生活が悪いとか)の話しかせず、信仰とはなにかとか成仏とは何かといった根本の話に持っていかないそうですが、僕が感じたのは、うちの母もやっぱり元創価学会なのだなあ、ということです。どうやら、学会のかたがたは信仰の「話」をしにくるのではなく、「論破してやろう」という気でくるらしいのです。そしてそれはうちの母にも少しみられたのです。
結局何がいいたいのかと申しますと、この場は「信心を深める」場であっても、「論戦」する場ではないのではないでしょうか、ということです。なにやら言葉尻をとらえるようで悪いようなきもしますが、やはり、文章にも「人」が表れると思います。自分自身はなかなか見えないものですよね。自分も気をつけようと思います。
それと、ご本尊について。タグボートさんはご本尊を軽視してはいけない、とおっしゃっていましたね。それならば、どうして立宗750年式典で、放送ではご本尊の写真を撮らないでくださいといっていたのにも関わらず、写真を撮っていらっしゃったのですか。僕は正直言って、あきれていました。しかもあれは唱題中でしたよね。報道担当でだったからかもしれません。しかし、ご本尊を大切にされる方が、あのような行動にでるとは思えません。いかがですか。僕はあのことが気になって、タグボートさんのことを誤解してしまいそうで、恐いです。
それと、
>さて私たちの「信心」のスタンスはいずこにありやと思いますか?
この質問に対する答えは難しいと思います。よくよく考えて、自分なりの答え(みたいなもの)がでたらお知らせします。
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誤解だぜーーー。 名前:タグボート 登録日時:7月 2日(火) 16時58分02秒
>コジョーさん
ごめんね、いま手一杯なので文きり調のご返事しかできないことご容赦くださいね。
慶讃法要関連では私は「慶讃委員会実行委員会」の企画担当として働かせていただ
いております。で、現在そうした模様を「慶讃アルバム」として制作中なんです。
準備サイトはここ↓です。よかったらご覧ください。
http://www6.plala.or.jp/hasu/
そして行法寺でもそうですが、横浜などでも、ちゃんと委員会から指示を受けての
撮影業務だったのです。
そりゃ私だって落ち着いて法要に加わりたかったですが、しかたがないのです。
これも身の供養ですから。
御本尊様は写真に絶対写らぬようにしてます。
何人もで撮影したもののなかには間違って写ってしまったものもあるのですが、
そのような時にはPC上でトリミングさせてもらってます。
最終的な感じは上記サイトで確認してみてください。
みんないい顔してるでしょう?
私も頑張ってるんですぜ、お願いだからそんな誤解しないでくださいな。
学会口調に聞こえましたかぁ・・・。
申し訳ありません。猛反省します。
私たちにとってはとても大切な概念がテーマになってしまったので、いつしか
そんな口調になってしまったのかもしれません。
あまりいままでにこうした「堅い」話題でレスやりあったことがなかったので
ちと興奮してしまったかな?
勘弁してくださいな。
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?※???やほー 名前:遠方よりの使者 登録日時:7月 2日(火) 17時45分28秒
ちょっと待った
タグボートさんだか富野さんだかいいかげんどっちかにしてほしいとはいいたいんですが、こんがらがるから。
この人の書いている疑問には僕も注目してるまえから。いったいどんなこたえなのかとても注目してるんです。なかなかそれってでてこないんですよ。どうなのですか。ガチンコガチンコ負けたらだまる?それじゃこのひとがただしいのかな。はやくしてー。
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統合レスにて終息 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 2日(火) 18時01分17秒
月末から月初めにかけて、色々と忙しいもので、レス遅れてます。
このところのやり取りで、善しにつけ悪しきにつけ、自分なりの答えが出たのではないでしょうか?
少なくとも私は出ました。
私は本尊観に対しては、一切口出ししていませんが、これが最初で最後。
「森羅万象に即して因縁所生の法=南無妙法蓮華経、三即一、一即三、一念三千の妙法、その法体」
分かんなければ、各寺の住職に聞いて下さい。ね?
本尊論の論争史を見る限り、本尊ではなく「法体」や「相即」の概念で止まっている感があります。
どこのレベルで話しているかが混同している。
文々句々にとらわれ、自分も宇宙の一部だということを忘れていることがよくあります。
本尊も「人」と「法」とに、便宜上分けただけなのに。。。
折伏は、自分が元気で幸せにやっている姿を見せた方が、折伏になります。
それが勉強のし過ぎで元気がなくなっている。それじゃあ念仏です。題目は元気が出るものです。以上。
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!公私混同にて失礼! 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 2日(火) 19時18分08秒
長谷川さんですね?
先日のメールに関してすぐさまのレス、ありがとうございます。また、ご返事が送れまして
申し訳ありません。お仕事から帰ってきたのですね。
さて、このところの富野さんの発言、あなたからのメールの内容、下の2つの書き込み。
この3つを考慮して、あなただと判断しました。間違っていたら、ご免なさい。
最初はびっくりしました。
ところで、この掲示板の住所、お教えしました?忘れてしまって。
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コジョー君へ 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 2日(火) 19時37分55秒
お帰りなさい。どうですか、こっちの山は。私はこちらでは一回も行ったことありません。
予定表(鏡像)は本日お送りしました。ただ、私は7日はおりませんが。
>天台宗の書物に書いてある「観心」と、本宗でいう「観心」とは意味が違うということでしょうか。
「観法」の主体が違います。これだけでなく、戒壇にしても何しても、大聖人は南無妙法蓮華経の直機
=末法の凡夫にも出来るようにご教示下されています。
すなわち、森羅万象の当体というか、一念三千を悟るのが天台に対し、大聖人はそれらは「理即」という
菩薩の位であって凡夫には難しいとされました。
我われは、まずは信をもつ。これに集約されています。大体、何でもそうです。
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失礼しました 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 2日(火) 22時31分12秒
長谷川さんではないです。御免なさい。
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だとすると 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 2日(火) 22時43分26秒
名無しさんに対しては今後レスいたしたいと思います。
私の時間がある限りですが、いつでもどうぞ。
ただ、ここは本来行法寺HP会議室なのでたまにお会いした時にでも
行法寺HPを手伝ってくれたら(方向性でもなんでもいいです)嬉しいかなあ〜なんて。
また。
そうそう、「興風」3冊だけ(2冊だったっけ?)もって帰りましたよ。
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ちがう 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 2日(火) 23時02分51秒
ごめんなさい。やっぱ決断にはまだ早いわ。
今日ちょっとしたことがあって、今、延髄あたりに、アセトアルデヒドが溜まっています。
これが抜けたらまたね。
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最重要の件。 名前:富野 登録日時:7月 3日(水) 01時01分07秒
最重要の件
過日、私はご住職とは面談して本尊観・大石寺・寛師有師教学等のことについて
御教示頂きまして、その結果、私の法門解釈に間違いがないことを確認しているのです。
おたま女史やG3師は返答につまると「住職」「住職」の大合唱でありますが、かえっ
てご迷惑をおかけすると思ったので、無責任にご住職を担ぎ出すことを避け、御住職が
こういったああいったという言も避けております。
しかし、おたま女史やG3師のレスを読み返してみますと、私の云っている教義は行法
寺とは異なるということらしいので、非常に驚いております。私の死活問題です。
おたま女史はいつのまにか、私を勝手に行法寺から閉め出すかのような発言。
さぞあちらこちらにメールを送りつけているのでしょうね。
でも、そんなことはよろしいです。個人間の板喧嘩しているつもりは私のほうはもうと
うありませんので。
ことはもっともっと重要なことです。
数十年にわたってごまかしてきたとしかいえない問題を含みます。
日興上人さまがご照覧くださっているかもしれない問題です。
私はなにを云われようが、この件は徹底的に明確にいたしたいと御本尊様に報告いたし
ております。なにもごまかさずに正直に話し合って、わからないことはみんなで検討し
あって、正しいありかたを希求していくことをなんでそのように恐がるのですか?
いままでどおり、ボヤーっとしてなんとなく信心していくのですか?
困ったらご住職、というのはご住職ご自身が迷惑するのがわかりませんか。
自分の信仰です。真剣に考えましょうよ。
「信」という言葉でごまかしてはなりませんよ。
「一信二行三学」とはいえ行と学に裏打ちされた信でなければ助からない。
ご住職を上げ奉って、かえってご住職の首を絞めているようですね。
私が間違っているのであればぜひ正してほしいと思うのです。悪ければ直します。
あなたがたの「本尊観」についていまだまったく聞かせていただけない状況です。
▼ここを読んでくださっている皆さんにお尋ねいたします。
行法寺および正信会の法門法義解釈として、おたま女史やG3師の言は正しいのでしょ
うか。私の言は間違っているのでしょうか。
わたしが諫めておりますのはおたま女史・G3師を代表とするかたがたの法門法義観、
あるいは意識に下記の如くの意見を見いだしているからです。
また正当な反論をいただけないからです。
●「本尊の当体は正信会信徒の己心のみにある」
●「勝凡夫己心劣出世本懐曼荼羅」
●「客観的不変妥当性の道理を用いず、個人の私見優先で、何が何でも僧侶は敬え」
●「重要な法門等の話は公衆(同門同士)の前でやらずに裏でやれ」
●「仲間の間違いを糺すなどとは反逆である」
●「反省など必要ない。あなただけが間違っている」
●その他、日達上人まで続いてきた正宗の法門と異なる意見
これはとんでもない謗法です。由々しき重大事です。見逃せましょうや。
そして、最後には無視や黙殺によって私の申してきたことを封じてしまうかのような動
きとコメント、裏でのやりとり。
まずいですよ、そんなやりかたは。仮にも信仰者のとるべき行動ではありません。
これでいいのでしょうか。そのような仕打ちを信じていた仲間からされるとは思いませ
んでした。このままお答えくださらないのであれば、ことは更に大きくなりますがいい
のでしょうか?(私、本気で怒りますよ)
はっきり申し上げますが、ここで解決しなければ【私は絶対にこの件からは身を引かな
い覚悟】でおります。あらゆる手段をもってあらゆる方々に、ここまで申し上げてきた
内容についてお尋ねする行動に移ります。そうするよりほかなくなってしまえば。
いままでにそうしたことで正信会を閉め出された方々の主張することが正しいというこ
とに否応なくなってしまいます。
それはなんとしても避けたいのです。行法寺の恥となりましょう。私もイヤです。
どうぞご自身でお答えできないのであれば、しかたがありません、ご住職に進言されて、
お話を伺い、この私の書き込みに答えていただきたいです。
G3師やおたま先輩の云われるところの「本尊観」「僧侶」「住職」などについて私は
大きな過ちがあると思います。失礼ながら猛反省を促したい。
ご住職との面談で私の受けた答えと大きく違っております。
先ほどしかたがないので、余儀なく、ご住職に私の杞憂かもしれない考えを手紙にてお
渡しいたしました。ご都合で3日後にあらためてお相手していただけるようアポイント
をいただきました。
ですから、私はその日を待つことにいたしました。
ですから私の意見に批判されるかたがたは、もう、御住職に下駄を預けることはしない
でご自分の考えで応答していただきたいと思います。
あとは皆さんのご返事を期待するのみです。お定まりの「学会流」とかの言い方は僧俗
ともにいまある我々にとってその学会にお世話にもなった日々もあるのですから、あま
り自分のルーツを悪くいうのも控えましょう。「内容」に対しての反論希望。
例として下記の御文を記しておきます。私の己義、言葉の類ではありませんよ。よくよ
く正直な心をもって読んでみてください。
-----------------------------------------------------------------------------
「何に賤者なりとも少し我より勝れて智慧ある人には此の経のいはれを問い尋ね給うべ
し」(松野殿御返事)
-----------------------------------------------------------------------------
「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是
の人は仏法の中の怨なり」(涅槃経)
-----------------------------------------------------------------------------
「就中、弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是
れ三大秘法の随一なり。況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」(日寛上人・観心本尊
抄文段)
-----------------------------------------------------------------------------
「但し師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間・仏法の道理によ
るべきなり」(曾谷殿御返事)
-----------------------------------------------------------------------------
一、下劣の者爲りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とすべき事。
一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。
一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫すべき事。(日興遺誡置文)
-----------------------------------------------------------------------------v
「汝先ず法門を置いて道理を案ぜよ」(聖愚問答抄 下)
-----------------------------------------------------------------------------
「此の内一箇條に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず、仍つて定むる所の條條件
の如し。」(日興遺誡置文)
-----------------------------------------------------------------------------
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(草木成仏口決)
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御義口伝)
-----------------------------------------------------------------------------
「心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし」(曾谷入道殿御返事)
-----------------------------------------------------------------------------
「此の経の文字は盲眼の者は之を見ず。肉眼の者は文字と見る。二乗は虚空と見る。菩
薩は無量の法門と見る。仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり、即持仏身と
は是なり」(曽谷入道殿御返事)
-----------------------------------------------------------------------------
「又達磨西より来つて直に人心を指して仏なりと云う是程の理は華厳大集大般若等の法
華已前の権大乗経にも在在処処に之を談ぜり是をいみじき事とせんは無下に云いがひな
き事なり(中略)
又妙楽大師の弘決の一に此の理を釈して云く「世人教を蔑にして理観を尚ぶは誤れるか
な誤れるかな」と、此の文の意は今の世の人人は観心観法を先として経教を尋ね学ばず
還つて教をあなづり経をかろしむる是れ誤れりと云う文なり」(聖愚問答抄 下)
-----------------------------------------------------------------------------
この他いくらでもあります。
あなたがたの云っていることは身延か禅宗の考え方ではありませんか?
そうでないのなら、私の質問にお答えください。
正信会・行法寺の「本尊観」「帰山問題」などについてのスタンスを教えてください。
私が真剣に、勇気をふるって申し上げたことをまったく茶番に落とし、好き勝手に筋違
いの私個人への批判に終始させたのですから、責任をもってこれくらいはご自身の所感
を述べてくださってもいいかと思うのです。
今、多くの方がここを読んでおります。いったいどうなのかと関心をもって見つめてお
ります。勝手に終息させたり閉め出したりしますと、阿部氏や池田氏と同じ手口となり
ます。
無視・黙殺されたりしますと、知りませんよ、私の手に負えないほどの騒ぎに発展して
しまうこともありえますよ。そうなれば、必ずあなたがたの責任です。
火だるまになって体をはっている者にたいして、単なる反逆者扱いをしないで対話を戻
していただきたい。法華の敵となることを避けていただきたい。
急ぎ急ぎお返事くださることを願います。
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やだな... 名前:otama 登録日時:7月 3日(水) 12時30分55秒
富野さんへ
あなたを閉め出す発言をいつしました?
やーですね。
ずうと付き合うつもりでいますが...
まあ、あなたが「やだ」とおっしゃるなら、それまでで...。
あなた次第です。
言葉が通じる内は、わたしは挨拶も会話もするつもりですけど....。
又、ここにはそぐわないと言われそうですが
多摩班は、時に、お互いに、掴み合わんばかりの言い争いも、喧嘩もしましたが、
みんなめげずに、知らん顔して寺に行っている内に、ひょんな事から分かりあって、
今に到っています。
あつくなったら、しばし、休んで各々顧みる時間も必要です。
何かがtoo much駄ったり、too shortだったり。
気の合う、合わないはありますが、お互いの信心を信頼する仲になっています。
(自分から決別して出て行ってしまった人は別ですが、)
ただ、掲示板はもういやです。
お互いに真意も真心も通じない。
あなたは私への評価を決めてかかって、書いた事を読んでくだされなくなっている。
「破門」したのはあなたですよ。
行法寺さんにはなにも言ってませんよ。
内緒の事は守っていますし、間諜みたいな通報もしてませんよ。
ただ、はっきり言って、手紙を出したいと思った事はやまやまです。
あなたの白蓮院にたいする思いにはびっくりしましたから。
でも、だしませんでした。
ただ、ニャッはリサンには住職に掲示板を見るように言って欲しいとは言いましたよ。
ここに書いたあなたの言葉で判断するべきですから。
28日の題目会にはゆきました。当然、G3さん、にゃっHりさんにはあいました。
合えばはなします。
何を言ったかというと、
彼に何とか「ノの字の口伝」がわかってほしい。
是が本尊感の鍵だと思う。
本尊感は全て思考の基だとおもう。
是が飲み込めないと、「身の内の仏」の実感を掴めない。
彼がそれを掴めるために、意見を寄せよう。
と言う事をはなしあったのです。
三人ともおなじ心だったですよ。
お二人とも、会議に出席する為に、短時間でしたけど。
僧侶二人と、住職が「鏡像」をあづけた者の話し合いです。
あなたをメチャクチャにして、外す話を影で連絡してするはずが無いじゃ無いですか。
...ただ、、信用が無ければしかたのないことです。
あんたは自分が正しいと思った事でしゃくぶくし、
私達は、同じ考えの元に、あなたの分って欲しいと願っている。
ただ、
特に、行法寺の御僧侶に対し、
法門のことで、思い違いが有るとおもったならば、
それは、再三住職にただすべきです。>是が手順
住職がおかしいと思う場合は、何をかいわんやですが。
あなたが一回面談しただけでできた解釈を直にふりかざすのでは無く
先ず、自分の見方を吟味し、
受け取り方がただしいのかどうか、自問、あるいは再質問を
繰り返し、構築して行くべきだ。
法門はなまやさしくはないんです。
多角的四次元的であります。
平面図でも、線上の点のありようでもない。
だから、掲示板で、多数相手では相応しく無いと思うのです。
さいごに、
戦闘的なのはあなたですよ。
なんべんも言いますが
教えを請うには、教えを請う姿勢と言うものが有ります。
あなたが高飛車に見えるのは、私だけでは無いはず。
教えを請っているのではなく
折伏しているのでしょう?
ちがいますか?
>「可愛い女だと思って、ベットインしてよろこんでたら
>朝になってみたら、男だった」
>これは「正信会」の骨子のことを云ったのです。
だったら、なおさら。...
此の辺の感覚が少し、私と違ったね。
私は、恋人は確かに三国一の立派な男なのに、
今、よい絵を描きたがらないから、勇気づけたかっただけです。
それぞれの閨房でねむってないで!
そう言いたかっただけです。
女のフリをした男だとも
男のフリをした女だとも思ってません。
本当はすばらしい男達なのです。
その辺が違いかな。
よんだ?
それでも、きっと、聞こえないよね。
いつかね...。
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そうそう 名前:otama 登録日時:7月 3日(水) 13時50分33秒
おどかしてどうするの?
誰が困るの?
こうやって、おどかす事自体が
なんか、みっともなくない?
どんな力がアルって言うの?
諸天が加護するかしらねえ...。
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戯論ばかりで疲れてきましたよ。 名前:富野 登録日時:7月 3日(水) 18時52分59秒
>otama殿
あなたがあんまり無礼な物言いばかり云われるので、よろしい、私もそのセンス
に合わせてレスしますのでご了解のほど。
▼誰が困るの?
誰も困らないなら、オープンにしましょう。
▼なんか、みっともなくない?
じゃ貴女のみっともないところも公開しましょうか?
▼どんな力がアルって言うの?
法門解釈の真偽の話がなんで力関係になるのか不思議(笑)
▼諸天が加護するかしらねえ...。
とうとう本音が出ましたね。
これは私が仏弟子ではないという間接的発言ですね。
つまり心の中では「堕地獄」と言っているようなものですね。
酷い人だな、あなたの正体は。
こんなことを云うかたとは知らなかった。
▼みんなめげずに、知らん顔して寺に行っている内に、ひょんな事から分かりあって、
▼今に到っています。
根本的問題解決もせずに建前だけでやってきたという告白ですね。
ひょんな事ってどんなことですか?子供じゃないんだから具体的に説明してほしい。
大聖人様と浄土門徒がひょんな事から分かり合えたのか・・・。大聖人さまも「知らん
顔」して邪義を見過ごせばよかったのかな?(笑)
▼気の合う、合わないはありますが、お互いの信心を信頼する仲になっています。
だったら、同じ曼荼羅を拝んでいる学会や宗門の方の信心も信頼してあげないのですか?
▼(自分から決別して出て行ってしまった人は別ですが、)
勝手な人ですね。自分は過去に学会を決別して出てきたのではないのですか。
人のことが言えますか。
▼お互いに真意も真心も通じない。
真心???。誠意ある解答も出さず、真心とはこれ如何に。
「大石寺は今帰らない」「正信会信徒己心のみで本門の戒壇曼荼羅はいらない」「僧侶
は疑わない」
誰が読んでも理解出来る主張(真意)です。
だからその証明をしてくださいといってます。
日達上人までの法義を否定しているが根拠は何か?
▼「破門」したのはあなたですよ。
PCを教える気がなくなったと言う事と、御互いの信仰観を相対して違いを明確にせよ
とは別の事です。
▼ただ、ニャッはリサンには住職に掲示板を見るように言って欲しいとは言いましたよ。
▼ここに書いたあなたの言葉で判断するべきですから。
『掲示板に書いた言葉で判断できる』と認めていますね。自語相違を二枚舌といいます。
こんな勝手な話はない。 自分は判断材料も出さず、真意だ真心だでは通用しない。
こういうのを「卑怯」と言う。
▼彼に何とか「ノの字の口伝」がわかってほしい。
▼是が本尊感の鍵だと思う。
やたらにそうして「ノの字の口伝」を引っ張り出してよろしいのか?
「ノの字の口伝」という本尊観の鍵では、弘安二年の出世の本懐という一大事の御本尊
は「あってもなくてもいい」事になりますね? 今の大石寺は阿部派が占拠して金儲け
に走っているが、その道具になっている「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究
竟、本懐の中の本懐」と言われ、阿部だとかあなたの心一つで「出世の本懐」が倒れて
しまうようなものなのでしょうか? 「ノの字の口伝」に関する詳細な解釈が先師のど
こにあるか御教授下さい。それが大石寺安置の楠板の大曼荼羅を否定できる根拠も。
▼本尊感は全て思考の基だとおもう。
「思う」では駄目。あなたの感想を聞いているのではない。「本尊観は全て思考の基」
なら川澄さんのような大学者でも悟れる事になるが、「思考の基」とは一体何かわかり
やすく説明して頂きたい(笑)。思考とは考え組み立てる事だから言語化出来る事。なら
ばそれを述べてください。
▼是が飲み込めないと、「身の内の仏」の実感を掴めない。
思索すれば心の仏が見れるとは恐れ入りました。
これは禅より悪質な考え方。
住職はこんな事をあなたに仰ったことがあるのですか?
ないでしょう?勝手に師匠から聞いたなどとは言い出さないでくださいね。
▼...ただ、、信用が無ければしかたのないことです。
法門の話をして信用を落すなんて聞いたことがない。それとも「「身の内の仏」の実
感を掴めて」」いない人は信用しないのか…。性質の悪い学会員の考えかたです。
▼法門はなまやさしくはないんです。
あなたはそれでも寺報鏡像紙の編集長ですか?
だからその法門の話を聞かせてほしいと云っているのです。
言語化された対話は文字に変換できるのです。
それで真意が伝えられないならば「鏡像」出しても読むほうに何も伝わっていないと思
うので即刻編集を降りた方がいいです。
▼多角的四次元的であります。
▼平面図でも、線上の点のありようでもない。
こんな話は聞いたことがありません。では法門が多角的四次元的だという認識は、経文
のどこにあるのか教えて欲しい。
勝手にイメージ化してはいけませんよ。
仏法での事法は『分別ではなくて無分別である』。
思索して仏が分別できるなど戯論で、日蓮正宗からこんな仏法が出たとしたら、阿部教
学にも劣る虚妄概念なのですよ。わかりますか?
「法の身寂の義を思うて諸の分別の想い無かるべし」(『普賢経』)と誡められ、言語
道断(推理推論無効)、心行所滅(概念操作無効)と説かれている。総勘文抄や法華結
経『普賢経』等を否定していることに気がついてほしいです。
▼戦闘的なのはあなたですよ。
ちょっとでも異を唱えると「戦闘的」か・・・。
ならば昭和30年の「小樽問答」の記録でも読んでみてください。お持ちでなければ差し
上げますよ。
謗法を呵責する学会を、時の日昇上人あげて、誉めた記録があります。
▼教えを請っているのではなく
▼折伏しているのでしょう?
あれれ?僧侶が「折伏せよ」と言ってませんか?折伏とは「破邪顕正」。
「建前和気藹々」ではありませんでしょう。
以上なんとかお返事を記述しましたが、話があんまり幼稚で、こんな妙なことを云って
いては、とてもじゃないですけど、富士門流を清流になど戻せるわけはありません。
このかた(寺報編集長)の間違っておられる法門観を、ただ黙ってみているのであれば
御僧侶も同じ考えと認識してかまいませんか?違うのならレスをつけて正してあげてく
ださい。
このような考え方が根底にフワフワしているから何10年経っても、大石寺を糺すこと、
正常化させることができないのではないでしょうか。すべての原因がこの一連の書き込み
のなかにあります。
我々は佛教ゴッコのサークル活動をやっているのでしょうか。
思い出してください、【正信覚醒】運動の意味を。これでいいのですか?
佛さまに申し訳なく思われませんか?
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うそだよね 名前:遠方よりの使者 登録日時:7月 5日(金) 14時14分58秒
http://isweb43.infoseek.co.jp/novel/syousin/mokoku_1.htm
このひとのいってることは本当のことなんですかでたらめなんですかしらないんですか
こたえられないひみつのことなんですか
東京の正信会のお寺の信者ですけど
だれにきけばいいでので すか。
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書き込まないと思ったが 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 5日(金) 14時52分07秒
2日ぶりに見ました。なんだかこの掲示板、言葉尻だけ見ると、2ch見たいですね。
幸いこの掲示板は、サーチエンジンには引っかからないからいいですが、
知らない人が見ると「行法寺HP会議室」ってなんだ?って。私の作ったCGIが行法寺の名を
汚すようなら、本当に遺憾です。
「遠方よりの使者」さん。もう誰だか分かったからいいですが、名前を隠す意図がわかりません。
あなたの信条は「正直に」では無かったのですか?なんとなく考えていることは分かりますがね。
疑惑について、我われが知らないことは答えますが、知らなければ住職に聞いて下さい。
ちなみに、九州の坊さんは私はほとんど知っていますし、聞こうと思えば聞けますが。
っていうか、んなことどうでもいい。
仏さんを化導の観点からみるに一言で言い表すならば「慈悲」です。仏教者たるもの行動する
根拠は「怒り」ではなく「慈悲」でなければならない。よくお考え下さい。あなたのすべてと言う
のではなく、最近のカキコについて。少なくとも、僧侶は「慈悲」で動いていますよ。
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え? 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 5日(金) 16時35分31秒
今読んでいたら、富野さんの
>今、多くの方がここを読んでおります。いったいどうなのかと関心をもって見つめております。
この発言がありました。これはどういうことですか?良い悪いの問題ではなく、一般公開すると
言いましたっけ?
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え?って・・・え? 名前:富野 登録日時:7月 5日(金) 18時41分20秒
>にゃっはりさま
なにを云っておられるのかわかりません。
多くの方とは以前にコジョーさんに紹介するために前述したメンバー
だけですよ。
それから数名のロムさん、といいますのはすでに許可いただいた方
であるはずですけど。
ロムさんに関しては師より「書き込みは遠慮して頂くように」との
指示どおり、そのようにお願いしてあります。
「よみびとしらず」氏や「遠方の使者」氏が誰だかは知りませんよ。
そんなことより、私の実名を名指しされるのであればそろそろ皆さ
んも責任をもって実名でやっていただくのが礼儀というものでは?
さきほど光瑞師よりメールをいただき、「道成さんに詫びをいれろ
」とのお指図でしたが、私は「詫びる」気にはさらさらなりません。
なにを謝らなくてはいけないのでしょうか。
まったくお返事もご教示もいただけない状況で、ただ詫びろでは、
いくら御僧侶であっても、理不尽ではないでしょうか。
私の申したことがらに、悪いところがあれば勿論謝りますが、どこ
が悪いのかを指摘していただけないと、詫びるにも詫びようがあり
ませんでしょう。
むしろ信者が本気でお尋ねしていることを、まともに読んでもくだ
さらず、御教示もいただけないのですから、むしろそれを詫びてい
ただきたいほどであります。
どんどん話をややこしくなさらないで、どうぞ、信仰上の話での
対話にしてはいただけませんか。
ここまで自分なりに分かりやすく疑問を列挙してまいったのです
が・・・・。
なんでしたら別立てで教学研修専用掲示板を作って、そちらに移動
していただいても結構ですが。
なんだかやりとりが汚くなってしまっておりますものね。
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了解 名前:にゃっはりの飼い主 登録日時:7月 5日(金) 21時13分23秒
なんだ。それじゃあ「多く」のではないのですね。10人いないでしょう。了解。
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おいおい 名前:るうちぇ 登録日時:7月 6日(土) 19時13分10秒
呆れたな。いったい何人がこの掲示板見てるんだろ。。。
いいよ分かった。「正信会の公式見解」ではないが、とことん相手したろうか。その辺の不良君たち。
ただし、時間があればね。
近々CGI作り直したるから待っとき。わしも名前変えんで。
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正信会に謗法有り。 名前:さらば愛しき友人たち 登録日時:7月 7日(日) 22時49分15秒
★ 置きみやげ ★
正信会僧故久保川法章師(元兵庫県堅寺院住職)の「死に様」は
悲惨そのものであった。戒壇の大御本尊を軽視否定したゆえに、
無限地獄を彼の弟子檀那に証明したようなものであった。この掲
示板をごらんの方々よ、心して熟読せよ!
笑うなら笑え、嘯くなら嘯け。自分自身はごまかせないぞ!
鏡に映る己の顔をよっく見てから反省せよ。
「久保川法章・正信会議長の寝枕に同席いたしましたが、そのむ
ごい死に方は私たち正信会に属する僧侶10数名をはじめ正信会
幹部にとりましても、改めて御宗門に対する誹謗・大謗法が堕地獄
の要因であるとの認識を新たに致しました。これが縁致しまして現
在、私を始め10数名の元正信会僧侶が大石寺に復帰できました。
故久保川法章師はご存知のように、大聖人様の御出生の本懐は「日
蓮の魂魄にあり」と申され日蓮正宗の相伝と大御本尊様を否定され
ておられました。(中略)そのころから申されていましたが、目か
ら血がにじみ痛くて寝むれない、と申されていました。
そしてお亡くなりになる10日ほど前でしょうか、全身から血が滲
み出し、幻覚をご覧になされたようで、そのときは全身から吹き出
ものと、皮膚の毛細血管からは全身から血が吹き出し、その血の匂
いはまるで大便か、魚をほおって置き腐らせたような言葉では言え
ない異臭を放つものでございました。時々寺院で奇声をおだしにな
り、私たち僧侶は檀徒さんの手前もあり御講では代理を務めるあり
さまでございました。
寝枕に同席した私たちはこの時、大謗法の罪を切実に反省し、皆、急
ぎ足で大石寺に連絡をとり、日顕上人猊下のお許しを得、御宗門に復
帰した次第でございます。」
(黒川道徳師元正信会・在勤僧侶の手記128Pより抜粋)
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日蓮正宗の僧侶でありながら大聖人の仏法に違背し異流義
となった京都雙林寺住職、臨導の死に様は下記のとおりである。
臨導は、明治5年8月より大病にかかり、翌6年6月に怪死して
いる。この臨導の病死は「食物が自由に体内を通らず、常に指汗
が滝のように頭から流れ、頭上からは火煙のような煙が昇ると言
う、まさに地獄の苦悩に喘ぐ状態であった」と後世の弟子が記述
している。
この恐ろしい現実を体感した弟子たちの殆どは正法に帰服した。
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法華経を誹謗した中国の善導和尚について日蓮大聖人は堕地獄に
落ちた善導和尚の自筆(類聚伝=るいじゅでん)を例にとられ、
御書を通し次のように大謗法の恐ろしさを御教示されている。
「最後臨終の言葉に曰く、この身厭(いと)ふべし諸苦に責めら
れ暫くも休息(くそく)なしと。即ち所居の寺の前の柳の木に登
り、西に向かって願って曰く、仏の威神以て我を取り、観音勢至
来たって又我を扶(たすけ)たまへと。唱え畢(おわ)って青柳
の上より身を投げて自絶す云々。三月十七日頸(くび)をくくり
てとびたるける程に、くくり縄や切れけん、柳の枝や折れけん、
大旱魃(かんばつ)の堅土(かたずち)の上に落ちて腰骨を打ち
折(くじ)きて、二四日に至まで七日七夜の間、悶絶躄地(もん
ぜつびゃくち)しておめきさけびて死し畢んぬ。」
(最後の臨終の言葉である。自分は毎日苦悩に責められ暫くの休
みもない。どうしてかというと、寺の前にある柳の木に登り、西に
向かって仏の威光を願い、観音菩薩に願い、この絶え間ない地獄の
苦しみから逃げるため柳の枝に首を吊るのであるが3月7日から
の間、毎日柳の木に登り自殺したいと思っている。しかし、柳に取
り付けた首吊り縄はいつも切れて、柳の枝が折れて死ぬことが出来な
い。大干ばつの土の上に落下し腰骨をくじき今日24日までの7日
間、悶え苦しみ死ぬに死ねない苦悩を減じて自害したのである)
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日蓮大聖人のお言葉を伏して拝せよ!
さらば。
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久保川師は御健在であります 名前:ROCK@日蓮宗葵講 登録日時:7月 8日(月) 02時57分09秒
正信会に謗法有り。 名前:さらば愛しき友人たち 登録日時:7月 7日(日) 22時49分15秒
はまったくのデマであります。
○久保川師の寺院は大阪蓮華寺、法源寺でありまして「兵庫県堅寺院」の住職ではありません[是一]
○久保川師はかの名著『弘安二年の大御本尊』を著されていますから、同姓同名という言い訳は出来ません。[是二]
○書き込み文は去年末に出回り、一月にはある人が久保川師は御健在ですと教示下さった。また、私は、
本年五月に久保川師から直筆の手紙を頂いている。[是三]
したがって貴殿の書き込みはまったくの嘘出鱈目であります。
http://www2.elnolte.ne.jp/bbs/headline.cgi
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随分ひどいデタラメを・・・。 名前:波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 登録日時:7月 8日(月) 03時27分39秒
生きている人を死んだことにしちゃうなんてね・・。
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ここ2ちゃんねる? 名前:名無しさん@3周年 登録日時:7月 8日(月) 04時04分29秒
久保川さんは生きてるみたいだね。正信会僧侶がが大石寺の板本尊を「ダイナマイトで吹っ飛ぶもの論」と言ったら、「援護射撃ありがとう」って言ったそう(笑)。ホントに仲悪いのか(笑)?
あれ?でもこの掲示板は行法寺内の人しか書き込んではいけないらしいですよ。
私もルール違反をおかしましたが、管理人様ーっ!
しっかりコントロールしてくださいよ。
しかし波木井坊竜尊@日蓮宗葵講やROCK@日蓮宗葵講は2ちゃんねるのご本人??
だったら、にゃっはりの飼い主さま、2ちゃんねるはいやだって言ってるのが嘘になってしまいますよ。
いえいえ、波木井さんやROCKさんには恨みはございません。管理人さんの姿勢の問題ですよ。
それともオープン?? 大石寺の御本尊を否定したら法太郎さんとか出てきちゃうよ。いいの??
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ばれちゃうよ 名前:ないしょさん 登録日時:7月 8日(月) 05時59分03秒
ずっと読んでっけど、ここの人、大石寺の御本尊否定してる人っていないのでは?
一人だけ、否定してると思い込んる人がいるみたいだけど。
だからそんな脈絡の書き込みすると、名前違っても、わかるなぁ。だれだか。
それにしても、ねられないんですかね?
それとも、超早起き会でっか。
皆さん、凄い時間で。
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なんとかボートさんじゃないよ 名前:名無しさん@3周年 登録日時:7月 8日(月) 06時28分36秒
またルール違反だな(笑) あ、俺もか(大笑)
>ずっと読んでっけど、ここの人、大石寺の御本尊否定してる人っていないのでは?
いやいや、ここには明確には書けない事情があるみたいよ。実際「耳」では聞いたらしいから。
皆の前で言えないのは「信者が騒ぐから言えない」んだって(大笑)
俺もそろそろ、ここから消えようかな。だって、「思い込んでる人」は去ったんでしょ?
話も終わりじゃない?。結論出ちゃったんだから(笑)。
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以上のやりとりのなかで、結局、先輩信者からも僧侶からも明確な応答をもらうことができずに
とうとう見苦しいやりとりのまま終わったのである。面倒なことや重要な話になると黙殺・話題の
転換をはかってうやむやにしてしまう体質はこのように末寺においても行われている。
今思い出しても胸がむかむかしてくるような、偽善的で独善的な集団と化していると思う。
ここには日蓮大聖人の真の信者は存在していないと判断するものである。